オタクの笑い~アニメ会に期待すること~

ようやく「現代視覚文化研究」を手に入れました。
完全に旬を取り逃しているけど、どうせ開店休業中のブログだから良いんだよ!
ということで今日はアニメ会についてのお話ですよ。
アニメ会のライブのレポは何度と無く書いてきているのですが、アニメ会に対する考えをきちんとまとめたことはなかったんで、「オタクにおける笑い」とその中でアニメ会に感じていること、期待していることを書こうと思います。


これは以前もチラッと書いたのですが、アニメ会が今後どういう方向で活動していくのかっつうのを、ファンだけでなく、オタク全体が注目したほうが良いのではないかなと。っていうと話が大きくなるのですが、やはりアニメ会は今までの芸人風オタクたちとは違う新しい存在で、アニメ会自体に興味が無い・あるいはつまらないと思ってるような人でも、注目に値するものなんじゃないかなと思うのですよ。


喋らせたら面白いオタクというのは、岡田斗司夫唐沢俊一をはじめ、何人もテレビなどのメジャーな場に出て行きましたし、芸能人でアニメとか好きっていう人も大勢いました。
とはいえど、じゃあそういう喋れるオタクたちがテレビで何をやってるかというと、日本のアニメが海外とかでウケてますってときに少しコメントする役回りとか、バラエティ番組とかで雑学豊富な変なおっさんという役回りをさせられたり、かろうじて文化人タレントとしてワイドショーのパネリストになったり、残念ながら一般向けの番組では脇役扱いになりがちです。BSアニメ夜話みたいなのオタクがメインにくる番組もありますが、見てるのは殆どオタクですし。
一方、芸能人でアニメ好きっていう人は最近大勢います。品川庄治の品川とか土田晃之とか、他にも色々。ただ、そのうちの多くはガンダム限定とかジブリ限定でアニメが好きってだけで、それ以外の特撮やマンガやゲームのことを語ることは(出来るのかもしれないけど)しません。そういう人たちの「アニメ好き」ってのは殆どが自分のキャラ付けの一つであって、「アニメも見れるオレ」を演出してるか、世代的なあるあるネタの一つとして使ってるような…いや本当に好きかも知れないけども。
しょこたんとかいるじゃん」
確かに中川翔子は生粋のオタクな芸能人かもしれませんな。とはいえど、中川翔子がオタクキャラとしてテレビに出るときは、基本的には「かわいいお嬢さんがパープリンな言動してる」っつう感じで消費されているだけで、宅八郎以来の「マニアックで言動が奇抜なボケ役」というオタクキャラのポジションとあんま変わらないもんです。*1
結局のところ、テレビにおけるオタクタレントの求められる姿は、宅八郎以来進化してないわけですな。


そもそもオタク的な笑いってなんなのかというと、オタクアミーゴスがマイナーな特撮番組のネタで笑わせるにしても、ヌルオタ芸能人のガンダムはここが良いんだとかの話で笑うにしても、秋葉カンペー宅八郎っぽいギャグを笑うにしても、秋葉原の街頭インタビューのオタクを嗤うにしても、「なるほどこれはオタクっぽい」みたいなものを笑うわけですね。オタク的な位置に立ってオタクっぽいネタを振舞うことで笑わせる、というやり方が普通のオタク芸。
しかし翻ってアニメ会は、「オタクらしい」ものを笑うのでなく、「オタクらしい(常軌を逸した)言動に対して、極めて一般的視点からのツッコミをする」ことで笑わせてるんですな。ある意味ではオーソドックスなお笑いの方法です。たとえば「プリキュアにドロドロンっていう敵キャラが出てきて」みたいなオタクネタに対して、ネタを言う方もツッコミを入れる方も、「30歳過ぎた男が、ドロドロンとか言ってはしゃいでるのか…バカだな…」みたいな、自虐的かつ常識的な位置に立つことで、観客を笑わすわけです
今までこのあたりがなんとも言語化できずにヤキモキしていたのですが、こちらの方がうまくまとめてらっしゃったので、それを使わせていただきました。御免ポポー∩( ・ω・)∩

ちょっと引用させてもらいますと、

普通、アニメネタ、オタクネタというのは、ことに密室的なトークライブなどになると「いかに濃いことを知っているか」ということになりがちである。
それはそれでものすごく好きなんだけど、どんどんお客の幅をせばめてしまうというジレンマがある。
ところが、今回見たかぎり、アニメ会のライブっていうのは、題材は萌えアニメでも、
それに対するツッコミは一般的なものなんだよね。
それはもう徹底して一般的にツッこむ。
だから、元ネタをまったく知らなくても笑える。
ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている) 06年12月8日

ということです。ネタはオタク的なことなのに、あくまでも視座が常識的。
僕らが普段アニメ会のオタクネタで笑ってるのは、「萌肌実」とか「蟲師川柳」とかのネタの元ネタを知ってるオタクでないと笑えないような部分だけじゃなくて、そこに対する極めて一般的・常識的な思考のギャップにも笑ってるわけです。
だから中川翔子とアニメ会の違いは何かっていうと、どっちもボケとしては極めてオタク的なもので、「アキバのこんなところに行った」とか「こんなコスプレしてみた」とかなんですが、中川翔子はそのボケの突っ込みを観客にゆだねて一人突っ走るしかないのに対し、アニメ会はその場で三平さんやタツオさんが「頭おかしいだろ!」と常識的なところに突っ込み返すことが出来るという点です。


だんだんゴチャゴチャしてきたので、「オタクの笑い」と、その中でアニメ会がどういう位置にあるのかというのを、簡単な図にまとめてみました。
「あの人が入ってない」とか「あいつの方向性が違う」とかありましょうが、許してくだせえ。

さて、上の図は、縦軸が「ボケ」の方向性で、上が「感覚」下が「知識」となっています。
「感覚」は「オタク的な言動」「オタク的センス」で笑わせるタイプのボケ。ピエロの笑いです。
一般人がニュース番組で「萌え」とか言ってる人を見て「うわー、オタクっぽーい」とか言いながら笑うのもこれですし、中川翔子がテレビで「ギザワロス」とか言ってるのを見て「そんなところで2ch用語使うなよー」とか言いつつニヤニヤしてしまう笑いもこれに入ります。アニメ会の「萌え話」なんてのは、ある意味これの極北、オタク的言動が行くとこまで行った姿ですね。
下の「知識」は、オタクの専門用語を利用したボケです。これには大体二つあって、一つはあるあるネタ、もう一つはパロディネタ。
わかりやすい例えで言うと「サルまん」なんかがこれに当てはまると思います。「野望の王国」を基本に、マンガの「お約束」をみんなが知っているのを前提として、それをちゃかすことで笑いをとるわけです。パロディだけでなく、ただ知識を披露する事でとる笑いもこれに含まれます。「うわー、よくこんなマニアックなマンガ見つけたなー」とか、「そうなんだよ、あの回の作画はホントに酷かったんだよ!」っていう笑いがこれです。「あの監督はこの声優に手をだして振られた」みたいな裏話的な笑いのもこれに含まれますかね。第一・第二世代オタクが得意としてきたボケの方法です。オタクにとって馴染み深い笑いは、どちらかというとこっちのほうでないかなと思います。
で、横軸は「ツッコミ」の方向性。右が「常識的」左が「オタク的」
ツッコミとは、ボケに対する反応です。
特にオタクのボケはブラックなものやクレイジーなものが多いので、適切に突っ込んでもらわないと、ジョークじゃなく本気でこんなこと言ってるのかと思われて、大変なことになることもあります。
「常識的」なツッコミは、上述の通りオタク的なボケ(常識に外れるもの)に対して、「なんでやねん」的な反応をすることです。これにより「ああ、今の毒舌はボケなんだな」「あのコスプレはギャグね」という安心感が得られます。
これに対して「オタク的」なツッコミというのは、基本的にはジャーゴンとかを用いた反応です。
「なぜだ!」という問いに「坊やだからさ」と応えるようなツッコミ。「ちょっとした段差を飛び降りただけなのに足くじいた」と言ったら「お前はスペランカーか」と応えるようなツッコミ。そんなツッコミがオタク的なツッコミです。これは半ばボケにボケで返すようなもので、下手すると歯止めが利きませんが、オタクが何人か集まるとすぐに展開されがちです。ある意味で「萌え」ってセリフもここに入るのかもしれません。
「知識」のボケと「オタク的」なツッコミとがどう違うのかがややこしいかも知れませんが、あくまでボケは「最初のきっかけ」というか「ネタ振り」みたいなもんで、ツッコミはそれに対する反応、という風に考えてくださいな。


とまあ、こんな分類で、それぞれがメディアに露出するときのスタンスと、オタクにどう消費されてるかを考えると、上図のような形になるんじゃないかなと思います。適当に作ったものなので異議ある方も多いかと思いますが。
で、こういう分類で見たとき、今まで一般人に消費される「芸人」で「オタク」の人たちっていうのは、「感覚」的なボケで「オタク的」なツッコミをかますのが殆どだったと思います。この人たちがオタクに今一好かれない、良くない理由は、基本的にオタクっぽいアクションのボケで笑いを取ろうとしてるのに、ところどころアニメのセリフとか(それも割と世代のあるあるネタのような類の)で他人のオタクネタに反応してみせたりして、「俺もこのアニメに詳しいのよ」的な素振りをしてることだと思います。ようは知ったかぶりをしてる割には、普通のオタクたちからはヌルいものに見えてしまうところがダメなんだと思います。「なんだこいつ、いかにもオタクですみたいな振る舞いしやがって、この程度でガノタ気取りかよ!もう坊やだからさとかは聞き飽きたよ!むしろイタイよ!」みたいな。


一方、密室芸を発展させてきた、「オタク」で「芸人」ぽいことをしてる人たちオタクアミーゴスとか、ロフトプラスワンでマンガとかアニメ関係のイベントをやったりするような人たち…は、大体が「知識」を必要とするボケに「オタク的」なツッコミをかましているパターンが多かったように思います。
いまいちピンと来ない人は、平野耕太先生のこの文章がわかりやすい例だと思います。

(引用者注:「神様家族って何?」という話で)
もしくは宮崎吾朗のことじゃねえの?
神様と呼ばれていたアニメ監督の息子は、コネで入ったテーマパークの館長。
でもなんとかアニメ監督にしないといろんな人が困る。
日テレとか。
で、可愛い子ちゃん天使の格好をした鈴木敏夫プロデューサーが
いや、どっちかと言うと、悪魔の格好をした鈴木敏夫が、
シュナの旅の本片手に「これ見て描け。」と強要。
ルグゥインは俺が丸め込んでおく、俺が丸め込めねーのは押井守だけだと豪語。
お前はわしの言うこと黙って聞いとけばいいんじゃ。
わしにかかれば、アレだ。
道端のウンコだって神輿の上で一流のアニメ監督に仕立て上げてくれるわ!
さー吾朗はドーンと死んで来い!
まあお前でしくじっても、高坂希太郎がおるわいなあ!
ぐわーっはっはっはー!ぐわーはっはっはー!
希太郎がしくじったらあれじゃ!細田じゃ!細田守を連れてまいれ!
何!来ないと申すか!?
ぬううう!細田めえ!このワシに逆らうと申すか!?
ぬうううううう!誰ぞ!誰ぞある!
細田を!細田を討ち取ってまいれぇーーーっ!
鈴木敏夫の声は、三国志董卓で読んでください)
(吾朗は献帝で。)
高坂希太郎曹操で、細田守劉備で)
とかいう話じゃねえの?
(違います)
(途中から完全に三国志になってます)

何よあんなブス!アタシ、負けないわよォーッ!(水商売の女が自宅の便所で)日記より

そういうわけで岡田斗司夫とか唐沢俊一をこの辺に当てはめてしまったのですが、この人たちは一般受けするときのやり方も心得ているので、突っ込み軸を行き来可能としました。トーク会場のオタク濃度が濃い場面ではオタク的なツッコミを、薄い場面では常識的なツッコミをと、器用に切り替えるやり方ですね。ネタ自体は初代ミクロマンの話とかでも、「それは変身サイボーグです!」みたいに返すことも出来るし、「ほらね、こんなくだらないことで何時間も話せるのがオタクなんですよ」みたいな形で落とせるという。


一方、本田透が何で常識的なツッコミの方に入ってるんだと思ったかも知れません。でも電波祭りとかに行ったことのある人やラジオをよく聴いてる人はわかると思うのですが、本田さんはボケ自体は知識を要求するようなものが多いのですが、ツッコミは大抵常識的な視点からのものなんですよ。アニメ会のオタク的な行動に「いやー、それはキモイですよ」とか反応したり。
でもオタク的なツッコミで返せなくもないので、本田さんのほうも「行き来可能」としました。
この「知識」を要求するボケで「常識的」な反応を行う人って言うのは、他にはどんな人がいるかな…あんまり思い浮かばないですが、オタクが自分のトークを一般人に受けるようにする時っていうのは、こういうスタンスになりがちかなと思います。


そこでいよいよアニメ会の話です。
繰り返しになりますが、彼らのギャグで面白いのはあくまで「感覚」的なボケです。
リリスコスプレをした亀子さんが「ウジ虫」と言われるネタを何度もやったり、「ねこにゃんダンス」にあわせてアニメ会みんなで踊ったり、自分の妄想フルスロットルの「萌え話」を延々と披露したり。どれも、実はその作品自体を知らなくても楽しめるようなギャグなんですね。問題は、そこでいかにオタク的でぶっとんだセンスのことをしているかで。
で、そこに対してあくまでも「常識的」な立場からのツッコミをする。それがアニメ会の面白みであり、他と一線を画す部分です。あくまで自分たちは非常識な振る舞いとわかってやってますよ、とすることで、オタク的なものを敬遠する人にも「アニメ会は分別を持った上でああいうことをしているんだな、安心して笑っていいんだな」という意識を持たせることが出来るのです。
また、上図では「アニメ会はボケ軸の行き来が可能」としましたが、アニメ会はたまにディープな知識を必要とするネタを挿入します。そうすることで、オタクたちに「あいつらはわかってる連中だ」というコンセンサスを得ることができるわけです。この辺はアニメ会自身かなり計算してやってるのではないかと思うのですが。
何が言いたいのかというと、基本的にボケが知識を求めずオタク的行動・オタク的センスで笑わす「感覚」的なものでありながら、ツッコミが「常識的・一般的」な視点にたっているので、オタクな人もオタクでない人でも、アニメ会のギャグで同時に笑うことが出来ることにあると思います。


オタクっぽく振舞うことで笑いをとる、宅八郎系列の笑いは、そのインパクトで一般人を笑わせることが出来ましたが、オタクの支持は得られず、一般人にもイロモノとして使い捨てられました。
オタクの知識を応用した笑いをとる、今までのオタクたちの芸は、知識の全く無い多くの一般人を笑わせるには難しいものがあり、メジャーになることは出来ませんでした。
一般人の気持ちを代弁するようなツッコミをいれるにしても、やはり知識の共有を前提とする笑いでは、なかなか普遍性が持てません。
しかしオタクっぽいアクションや、オタクらしいセンスの言葉を使いながら、それを一般的な言葉で突っ込んでいく、そんなアニメ会のやり方は、知識のあるオタクにも、知識のないオタク以外の人にも受ける普遍性があります。


だから、アニメ会に望むのは、オタクたちの間だけで受けて終わらないでほしい、ということです。
オタクでない人たちのちゃぶ台をひっくり返して、「アニメ会すげえ!萌えってすげえ!」と思わせることが、アニメ会には出来ると思うんですね。
だから、もしそういう方向にアニメ会が行くなら、今までのオタク芸人たちとは全然違う形で、一般の人々やオタク自身に受け入れられると思うんです。
そうすると、アニメ会に興味の無いオタクたちも影響を受けることになるから、「アニメ会は違う」っていう認識をみんなが持っても良いんじゃないかと思って、こんな文を書いてみました。
でも「現代視覚文化研究」とかを読んだり、最近の動向を見てると、オタク専門芸人兼ライターと化してきているので、その方向のままズルズルいったら勿体無いなあと。今はオタク界で足場を固めてる準備期間なのかも知れないのですが。
なんにしてもですね、アニメ会には、オタクでない人、普段から萌えアニメとか見てない人を笑わす力があると思うんですよ。
ということで、まずはそれを証明するためにも、全然アニメの放送してない地方巡業とかをやってみてですね、それで本当にアニメ会はアニメを見てない人にも受けるネタが出来るかという実験をしてみては如何でしょうかという提案がしたいわけでして…ゴニョゴニョ


まあ長々と書いてきましたが、結局一番僕が言いたいことは、次の倉田先生の言葉に集約されています。

最近テレビでタレントや芸人さんがアニメやマンガについて語っているのをよく見かけます。これがもうヌルくてヌルくて!ドつまんなくて!アニメ好きであるはずの私が思わずテレビにX-BOX360のリモコン(ワイヤレス)を投げつけたくなる衝動にかられるほどで(でもしょこたんと土田からは本物の匂いが……)。あの程度でも「マニア」とか言われる日本に絶望した!世の中には、いや都内にはもっともっとアニメが「好きでオモシロい」、業の深い連中=アニメ会がいるというのに!気分としては身体能力が遥かに勝るマサイ族の村から世界陸上を見てるような、なんか結成したてのアストロ球団のマネージャーみたいな、ドームの地下格闘技場の控え室のテレビで亀田三兄弟見てるような!そんな歯がゆいキモチです。アニメ会の皆さん、早くブレイクして世間を本物のアニメ地獄に叩き込んでやってください!もう『アナタが選ぶアニメの名場面』でハイジとかドラゴンボールとか見飽きたよ!OVA版『グラップラー刃牙』とか『ゲンジ通信あげだま』とか『獣兵衛忍風帳』とか見せてくれよ!今後のご活躍に期待しております。
(倉田英之 「週刊わたしのアニメ会」 ※大文字部分は引用者によるもの)

でも、おたく的な研究をいくらやってもつまらない。結局は重箱の隅をほじくりかえすだけだし、わかってる同士でうなずきあっておしまいみたいな感じですよね。それよりは興味も持ってなかったような人を驚かせて、相手の価値観を変えてやる方が楽しいかな、と思うんですよ。
(柳下毅一郎 「柳下毅一郎インタビュー」より)


次のライブは3月5日の中野ゼロですよー。

*1:映画秘宝のコラムとか見てると、もっとまともに面白い事も喋れるのに。もったいない。