ここ最近読んで面白かった本(活字編その3)

 月曜日に休んでるってとても素敵なことね。なんか後々つらいことが待ってそうだけど。
 ということでこのシリーズも無駄に3回もやってきましたが、そんなシリーズ化するほどの数を読んでないので、アマゾンの注文履歴を見て「あー確かにこの本読んだなあ」とか「そいやあの本も積んどったワイ」と思い出しながら書いております。
まあ今回で活字編も一区切りですよ。

犬の現代史

犬の現代史

 まずは動物の話。
 この本は押井守の「立喰師列伝」でも紹介されてたもので、戦前から戦後すぐまでの、日本における犬の扱いの変遷をまとめた書籍です。
 犬と言っても人との関わり方は無数にありまして、この本の中では「軍用犬」「狂犬病」「動物愛護運動」の3つに焦点を絞って紹介されているのですが、それぞれの犬の扱い方の移り変わりから、社会はどのような変化を辿ってきたのかを明らかにしております。
 「立喰師列伝」に出てきたのは毒ダンゴを用いた薬殺が戦後に多く行われたっつう下りで、東京オリンピックを控えて諸外国に治安や衛生環境の良さを誇示するために、片っ端から野犬を殺しまくったという話ですね。いや中国とかも今そんな感じらしいんですけど。
 その他のトピックとしては、戦前の警察犬や軍用犬に対する需要が、戦後のペット産業の発展に繋がってきたりだとか、日本の動物愛護運動はそもそも駐日イギリス人外交官とかのマダム方が中心になって始まったですとか。
 要するに昨今の「可愛いからペットは正義」的風潮なんざ日本じゃこの数十年のもんだよべらんめえということです。
 ネットやってる人は犬より猫好きな人が多そうですけど、猫もまー昔はガキや犬にしょっちゅう面白半分で殺されてたという話もありますし、日本人もそんな上等なもんじゃないですな。
 犬という存在から戦前〜戦後の期間の社会史を紐解いていく作業はなかなか面白いもんです。昭和30年代以降から現在までは、巻末年表にざーっとまとめられているものの、詳しい記述が無いんでそういうところについての話も読んでみたいですね。


川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

川は誰のものか―人と環境の民俗学 (歴史文化ライブラリー)

 でこちらは魚とコモンズの話。
 「コモンズ」というと、ネットではレッシグとかの「クリエイティブ・コモンズ」についての議論が中心になってます。まあそりゃネットという表現媒体使ってる人にとってはそっちのほうが身近で重要な問題ですからむべなるかなつう感じですが。
 川を上ってくるサケは今でこそ金銭的価値も大して無いもんですが、身から皮まで余さず利用していた前近代社会においては金が海からやってくるような存在だったそうな。
 しかしそんなサケを獲るのも地域において一定のルールというものがありました。
 たとえば新潟県の大川流域においては、サケ漁はコドと呼ばれる昔ながらの仕掛け漁でちょっとずつ獲るというやり方が採用されていました。
 しかし網漁を行って一気にサケをその村の人だけで獲り尽くすということも出来るはずなのですが、そうなるとその上流の村々との間で利権をめぐって激しい争いが繰り広げられることになります。実際に歴史の上では川からの利益を奪い合い、村と村とで紛争状態になることもしばしばあったとか。
 そうした長年の縄張り争いが、村々の川の利用可能領域を定める境界線を厳密に設定し、コドという仕掛け漁を行うようにすることで、網漁で一つところが鮭を独占しないように様々な慣習法が成立していたそうです。
 こういった歴史を重ねた上で作り上げた、「川はみんなもの」という人々の意識、つまり「コモンズ」というものが、現代社会においては村と村、人と人との関係性を作り上げる大きな要素になっている、ということが書かれた本です。


計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

 昔の話から一気に現代の最先端な所に話が飛ぶんですが、「現実社会において実際に人が介在している場で、情報技術というものがどのように役立てられるか」ということについて研究している人が神成さんという方らしいんですな。
 でまあその人と宮台真司がコンピュテーションと社会・人間というテーマで語りあっているのが本書です。
 宮台本も「まぼろしの郊外」とか「制服少女の選択」のあたりの援助交際本読んだくらいで他はさっぱり読んでなかったんですが、この人今はこんなんやってんのねえと感慨深く…もねえな別に。
 地域の農業の話からユビキタスコンピューター、地方のハコ物の話からグーグルやマイクロソフト、大学教育の話から技術と社会のありかたについてまで、様々なトピックを扱っているので、ITとかようわからんっつう人でもどっかしら引っかかる話はあるんじゃないかなと思います。
 個人的に面白かった、というより笑ってしまったのは、「IT業界の連中が一般人にわけのわからない横文字の言葉を使いまくって話すのは、自分たちが社会の要請に即したことやってないのをやってないのを誤魔化すため」つう旨の話ですかね。
 まあ確かに、スラッシュドットとかITmediaとか、それこそはてなのブログとか、そんな単語は日本語で言えよ!英語使う必要性ねーだろ!つう所でもカタカナ横文字つかって格好つけてる文章とか多いなーとかちょっと思う時はありますが、それを実際に情報関係の人が言うのは珍しいなあと思ったり。

神成 コンピューター分野というのは、学問としてもテクノロジーとしても非常に発達段階のものです。先日もIP電話の不通トラブルが騒ぎになっていましたが、あのようなトラブルは今後も社会のさまざまな局面で起きていると思います。私自身が製造業と連携して感じていることは、いかに、いまのITというものが精度に対する考え方が甘く、ある意味いい加減であるかということです。
 ……
 それがばれるのが怖いから、むやみに英語の略語を多発して、IT業界って難しいという印象を打ち出しているのでしょう。IT業界の方々の話には、むやみに専門用語が多いと思いませんか?この専門用語により、いわゆる、村社会をつくっているのです。
それが、社会全体をゆがめ、宮台さんが指摘したような、あるいは私が製作立案の現場で感じたような乖離をもたらしているのではないでしょうか。
(神成淳司「計算不可能性を設計する ITアーキテクトの未来への挑戦」ウェイツ) 

 アーキテクトというエリートとその育成という問題については、なるほど最近の宮台真司がエリートどうこうとか言ってるらしいのはこういう事かと納得しましたが、これはまだこれから色々考えなきゃ行けない問題だなあと思いました。


木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫)

木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫)

 でたー!ということで僕らがヒーロー木枯らし紋次郎兄貴の登場だーッ!
 市川昆のドラマが有名なこの作品、ドラマもそうですが小説がガチ喪向けの傑作です!
第一巻第一話でさっそく罪人として島流しの憂き目にあってる紋次郎親分、なぜかというと、世話になった兄貴分の身代わりに、罪を被って流刑になっておりました。紋次郎親分はお夕という女を慕って、その女にも慕われていると思っていたのですが、自分が島流しにされる際、そのお夕さんが橋から身を投げて自殺してしまいます。
 「ああ、俺なんかのためにカタギの娘さんが死んでしまった('A`)」と罪悪感に悩む紋次郎親分。
 流れ着いた先の島は、隙あらば他人を裏切って自分だけ助かろうという連中の集う悪人島。
 そんな島で紋次郎親分は、身投げした娘と同じ「お夕」という女囚の面倒をついつい見てしまいます。こちらのお夕さんは島で売春してなんとか暮らしており、父親の知らぬ子をみごもっていたんですが、ある日とうとう身投げしてしまいます。
 しかもほぼ同時に、兄貴分が実は自分に罪を着せて暗殺しようとしていたことが判明、裏切りと別れのダブルショック。
 「ああ、また俺の身の回りの人が死んでしまった。しかも信じてたアニキには裏切られるし('A`)」と思うも、それを機に島から脱出することを決意します。
 しかし脱出過程でまた人の裏切りや醜い内輪揉めに巻き込まれ、何人も居た仲間の中、唯一人生還した紋次郎親分。
 そして元の町にもどってみたら、死んだはずのお夕さんがピンピンしていることが判明。なんとお夕は実は兄貴分と出来ており二人でグルになって紋次郎を殺そうと企んでいたのです!('A`)
 ただ罪を着せただけではいつか戻って来て真実を知り、復讐されたりするかもしれない。そこで兄貴分への義理人情と、娘を死なせたという罪悪感を植えつけて、腑抜けにしたところを殺そうと画策していたわけです。
 しかもこのお夕さん、ブチ切れた紋次郎親分に追い詰められると、「私のおなかの中には左文治(紋次郎の兄貴分)の子供がいるの!左文治を殺さないで!」てなことを言うのですが、紋次郎兄貴は一言、
「赦免花は散ったんでござんすよ」
 とつぶやいて、左文治を切り捨てたのでした。くーかっこいい!でもなんだか意味の分からないセリフですが、紋次郎兄貴自身よく分かってないで使ってるので問題ないですお夕さんは生きてますが、めでたしめでたし。ってめでたくもねーよ!
 とまあのっけから「バハムートラグーン」 並にひどい展開の話なんですが、どの話も負けず劣らず鬱になるような展開ばっかりで、基本的に紋次郎親分が女に裏切られてひどい目にあるか、男に絡まれてひどい目にあうかのどっちかという話ばっかりです。
 姉萌え喪男の紋次郎親分の冒険はまだはじまったばかりだぜ!

どこかで誰かが きっと待っていてくれる
雲は焼け 道は乾き
陽(ヒ)はいつまでも 沈まない
心は昔死んだ
微笑には 会ったこともない
昨日なんか知らない
今日は旅を一人
  
けれども どこかで
お前は待っていてくれる
きっとお前は 風の中で
待っている
上條恒彦 「だれかが風の中で」)