アメリカン・オタクの世界

今日は一日かけて「オタク・イン・USA」を読んでました。

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史

最近も色々と本を読んでますが、その中で面白い本ていうと、知的興奮を味わうものか、あるいはゲラゲラ笑って楽しむものかのどっちかでした。しかしこの本は「新しい発見や考え方をもたらしてくれる内容を、バカ(褒め言葉)で軽快な語り口で楽しく読ませてくれる」という、久々の名著でしたよ。


元々この本は「映画秘宝」や「フィギュア王」に掲載されていた記事に大幅に加筆したものをまとめたもので、そのため、5つのテーマごとに書かれた、全部で40節以上もの短いトピックから構成されています。
どういうトピックがあるのかについてはこちらを参照してもらうと良いのですが、とにかく作者自身の暗い過去の話から現地で改悪されたアニメの話に、さらにビジュアル系バンドにやおい宮崎駿富野由悠季に、そしてとどめは「萌え」と、様々なジャンルにまたがってアメリカのオタクについて全般的に書かれてあります。
どの話題も強烈なインパクトのあるものばかりで、アメリカのオタクも日本と共通する深い問題を抱えていたり、あるいは日本とはまったく異なった悩みがあったりするのがわかります。
例えば同じオタクにしても、「Nerd」は実際のサイエンスに興味を持って、それを仕事に活かしたりして、ヘッドハンティングで様々な会社を渡り歩いてキャリアを積み、マイクロソフトやグーグルで働いたり、エレクリックアーツでアメコミのゲームを作ったりする人種のオタク。ビルゲイツに代表されるような彼らは、現代のアメリカ社会を引っ張っている存在だと思われている。
かたや「Geek」が興味あるのはサイエンスでなくサイエンス・フィクションで、それを仕事に活かせる人も稀にいれば活かせない人も大勢おり、ひたすらその作品に入れ込んで、監督はだれか、アニメーターは誰か、劇場公開時とLD版とDVD版でそのアニメのどこが違うのか、といったことをいちいち気にかけるが、そんな性質も実生活での利益として跳ね返ってこないので、ノロマで陰気な気持ちの悪い奴と皆から馬鹿にされる種類のオタク。コロンバイン高校で銃を乱射した二人組みに代表される彼らは、現代のアメリカ社会の足を引っ張っている存在だと思われている。
作者のパトリック・マシアスもそんなGeekの一人。現在35歳既婚の彼は、自分達よりも更に上の世代のジョージ・ルーカスのようなSFgeekたちや、プロム*1に行くような気持ちで日本から輸入したビデオの上映会を開いては一日中眺めていた自分達、そして「Otaku」であることをクールなアイデンティティとして誇らしげに語る今の若いオタク達を見つめながら、こういう。

世界のオタクたちが日本のオタク文化とファースト・コンタクトするきっかけはそれぞれ違うけれど、根っこの部分には共通するものがあると思う。つまり、彼らはみんな生まれてからずっと自分をとりまく環境、支配的な文化に対して不満があって、そこからの脱出を日本製のファンタジーに求めたんだ。
パトリック・マシアス 「オタク・イン・USA」)

自由の国アメリカでさえも、保守的な考え方が多勢を占め、他人と違うことを夢見ることには劣悪な状況だという。そこに差し込んだ自由の象徴が、日本のオタク文化だった。

ジョックス*2チアリーダーの支配、厳しいセックスのモラル、教条主義的な善悪二元論、そんな抑圧的な価値観から解放された自由な考え方をアニメやマンガは教えてくれた。もはや日本人はナードではなく、クールな伝道師だ。(中略)
「日本なんかのどこがいいの?アメリカ文化のほうがずっと楽しそうなのに」と思う人もいるだろうけど、もし、キミがサクラメントみたいなアメリカの退屈な田舎町に生まれ育ったら、きっと僕の気持ちもわかるはずだよ。
そして21世紀、アメリカのオタク・ブームは『AKIRA』のネオ・トーキョーみたいに爆発した。その実態を君たちに伝えるのが僕の使命だ。
アメリカのオタクたちが君たちのことを愛をもって受け入れたように、君たちも彼らを受け入れてくれたらいいな。

パトリック・マシアス 「オタク・イン・USA」)

…という風に、思わず文の調子も変わるしんみりとした良い話が語られたりするわけですね。
どこの国でも、社会的につまみ出される層がオタク文化を求めると…
というとまるで電波男なんですが、向こうにとっての「萌え」はどういったものなんでしょうか。
一番最初に「萌え」の感情をアメリカの少年たちが感じたのは、「マクロス」によるものだったと作者は言います。

…男子生徒たちは密かにミンメイに恋をした。当時のアメリカン。ボーイはまだ「萌え」の心を知らず、荒々しいだけのゼントラーディ人そのものだった。ミンメイの前にもティファニーデビー・ギブソンなど何人かの少女アイドルがいるにはいたが、ファンは女の子だった。聖書で偶像崇拝を禁じられてきたアメリカ人は、『ロボテック』で究極の偶像(アイドル)というべきアニメ・キャラに初めて「萌え」た。それはアメリカのオタク文化の芽生えでもあった。まさにデカルチャ!
パトリック・マシアス 「オタク・イン・USA」)

さらに「HENTAIアニメ」のブームが起こり、特別にアニメオタクでもない普通の女の子が好きな作品が「淫獣学園」だったりするなどという不可思議な事態になるという。
ヒッピーとかフリーセックスでやりたい放題なくせに、変なところで性モラルに厳格なアメリカはセーラームーンにさえも文句をつけて大論争になる。またやおいなどもゲイに不寛容な気風のなかで「公然の秘密」としてなりたってるだけの状況で、果ては少女に薬物を使ってレイプするシーンのある少女マンガを図書館で十一歳の少女が借りてきた事件などもあり、そうした日本の性におおらかな文化とアメリカのモラル保守層との文化衝突が予想されるという。
そんな中、「萌え」はアメリカのオタクにとって一番ホットで、かつ一番危険な話題だ。アメリカのオタクも、日本と同じように第二世代第三世代のような区切りで別れているが、完全に二次元に解脱しているような層は極めて少なく、オタク向けの出会い系サイトで彼氏彼女を作ろうとしているヌルオタも多い。そんなオタクたちにとって、「萌え」の概念を理解するのには、一抹の恐怖もある。

依然として、「萌え」は禅問答のようにアメリカのオタクたちを悩ませている。いや、違う。本当はとっくに知っているはずなのに、気づかないフリをしているのだ。なぜなら……「萌え」という概念が、アメリカ人にとって、考えることすら許されないタブーと抵触しているからだ。
「萌え」は、セクシーではなく、イノセンスであることに性的に惹かれるという矛盾した感情だが、その欲望を一発で理解するであろうアメリカ人がマイケル・ジャクソンだという点に問題がある。早い話、幼児性愛、ロリコンだから。ロリコンは日本文化の根底に潜むダークサイドだが、その追求は、アメリカでは最も悪質とされる犯罪、チャイルド・ポルノにつながってしまうのだ。

パトリック・マシアス 「オタク・イン・USA」)

萌えが直接セックスに結びつくものではないというのはわかっているようなのですが、萌え=ロリコンかどうかというのは、日本でも喧々諤々の論争が交わされているので、アメリカですぐに決着のつくものとも思えません。しかし向こうではそういう受け取り方になってしまうんでしょうな。でも…マザコンのことも、たまには思い出してあげてください。日本では年増も人気よ。


アニメサイト「スコットのアニメ年鑑」を主宰するスコットは、アニメの女の子に日に日に萌えていく自分の心を分析し、家族をもつ年齢にもなって成人女性にまともに向き合え無いから、可愛い子どもを育てたいという光源氏的な考えに逃げ込んでいるのではないか、これはペドフィリアなのではないか、という問いを、自ら発し、そして自らこう答える。

「違うよ!僕にとって『萌え』は、自然で健康的な現実逃避の手段なんだ」
パトリック・マシアス 「オタク・イン・USA」)

うーむ、なんだかよくわからんが、やっぱりアメリカのオタクはクールだぜ!
ということで海外の、特にアメリカでのオタク事情に興味のある方や、彼らから見た日本のオタクの姿というものについて興味のある方には、「オタク・イン・USA」はオススメです。
ついでに萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったかなんかも押さえておくと良いかも。こっちはまだ未読ですが。

*1:アメリカのダンスパーティー。合コンみたいなの?

*2:引用者注・ハイスクールとかでのアメフト選手のこと。ようするに運動部所属のマッチョなイケメン勝ち組。