怪しい論理と議論したがり屋

ここ数日東京に行ってたのですが、やっぱ都会さ出ると疲れるズラ。('A`)
それで秋葉原にも一瞬だけ寄ったんですが、ネットのせいでちょっと偏見掛かってるのかもわからないんですが、やっぱちょっと空気変わったなあと思いました。来週「萌え萌え同人誌ナイト☆2」に多分行くんで、そのときもうちょっと詳しく見てなんか書きたいと思います。


論理で人をだます法

論理で人をだます法

でですね、偶々本屋に寄ったらこの本が目に入ったんで買ってみたのですが、中々面白いですよ。ブログとかで論争してるところを見かけたり、或いは自分が当事者になったりするときもあるかと思うのですが、そういう時にこの本があると結構役立つかもしれませんよ。
お前はどこの回し者だっつう感じですが。


ではまず、本書の内容を、冒頭の売り文句を引用して紹介しましょう。

「いまのがまるで筋が通ってないのはすぐわかるんだが、でもどこが変かと言われるとちょっと……」
話しがインチキだと内心わかってるのに、ズバリ、どうインチキなのか指摘できないというのは頭にくるもんだ。そんな経験があるなら、本書はお役に立てるだろう。本書は、まちがった考え方を繰り出すいろんな手口を、指摘し、分類して、なぜそういうまちがった考え方が出てくるのかを説明する。
(ロバート・A・グーラ「論理で人をだます法」)

頭良い人とそうでない人の違いというのも色々ありますが、頭の良い人の条件の一つには、相手との議論において、相手の議論のインチキな部分を即座に見破って指摘することが出来る能力を持っていることだと思います。
自分も、「あれ、この人の話はどっかおかしいぞ」としょっちゅう思うものの、なかなかそれを具体的に指摘できないで、後々になって「あ、あれが間違ってたんだ」とか気づくんだけど、今更そんなこと言うタイミングじゃないし、なんか言えないなあ、ということになってしまいがちなあたり、ホント頭悪いなーと思うのですが('A`)
この本では、そういうインチキ議論のときに使われる様々なテクニックを参考となる例をつけて網羅していく*1もので、もしネット上で「なんかこの文章は怪しい」と思ったら、ここに書かれていることと大概は一致していると思います。「この話しはなんか変だ」という時の辞書代わりになるんじゃないでしょうか。
序章に記された一般的な人にありがちな傾向をあげるとつぎのようになります。

(1)自分の「信じたい」ことを信じる
(2)自分の偏見経験をいろんなことに当てはめる
(3)たった1回の出来事を一般化する
(4)問題を分析している途中で感情的になり、自分の個人的な感情を客観性より優先する
(5)人の話を聞くのが下手。話の一部しか耳に入らない。自分の聞きたい部分だけ聞いている
(6)あとづけで理屈を付けて正当化したがる
(7)関係あることとないことを、区別できない
(8)目の前の問題から、すぐに注意がそれてしまう
(9)ある問題のもたらす結果を、十分に検討しようとしない。純化しすぎる
(10)外見で判断しがち。見たものを誤解し、判断をひどく間違える
(11)そもそも、自分が何の話をしているのかわかっていない
(12)一貫した基準で行動することはほとんどない。根拠をきちんと検討してから結論を出すこともまずない
(13)言った通りのことを考えていないし、考えた通りのことを言わない
(ロバート・A・グーラ「論理で人をだます法」)

なんか耳が痛くなってきました。('A`)
基本的にネタの文章のときは大体こんな感じですがな自分。トホホ。
でも、論理性を声高に叫ぶ人ほど、こうした論理の落とし穴に嵌ってしまう姿はよく見かけますねえ。


で、本では「感情に訴える表現」「無関係な話題を持ち出す法」「あいまいさと不正確な予測」などなどを紹介していきます。
自分が特に興味を引かれたのは「なんのために議論をするのか?」というくだりです。

人が論争する理由には、以下のようなものがある。
(1)関心を引くため
(2)知識などをひけらかして自慢したいから
(3)自分の弱みや不満の埋め合わせとして
(4)相手より優れているという気持ちを抱きたいから
(5)自分の考えや発想を相手に押し付けたいから
(6)不満や緊張や怒りの捌け口として
これら6つの理由は、かさなる部分もあるし網羅的でもないけれど、個人的な理由だ。こうした動機のどれかによって論争している人は、真実をもとめてはいないし、納得のいく行動の方向を見極める気もなく、議論されている問題について、解決を見出そうというつもりさえないかもしれない。
(ロバート・A・グーラ「論理で人をだます法」)

うわー、いるいる、そういう人いるぅー。って何人かの顔や名前が思い浮かんだかも知れませんが、自分もそうかも知れないっちゅところを考えないといけませんですな。
つまりですね、議論を相手に吹っかける時て、なんかしら有意義な結論を求めてのことじゃなくて、「俺はお前より頭いいぞ!お前はバカだなあ」と言いたいだけなことも多いですよ、と。もちろんそうでない議論もたくさんありますが。
なんかしら相手との間に有意義な結論を出そうと両者が着地点を見計らってない、ダメな議論は、他人をダシにした暇つぶしにしかならないんだから、やめたほうがアニメ見たりとかして時間をもっと有効に使えますよ、と言いたいわけです。


…ハッ! Σ(゜д゜;)

自分の考えや発想を相手に押し付けたいから

…('A`)


まあそれはともかく、逆に、そういうところに気をつけた議論なら、両者にとって有意義なものになるかも知れませんね。
それでは「最も気をつけるべき原理原則」を紹介します。

  1. 絶対論をぶつ人には注意しよう。また、ある集団について、その構成員がみんなまったく同じ性質や信念や態度を持っているように語る人物には気をつけること。
  2. 一般化に注意しよう。裏づけがあっても、1,2個の個別的で例外的で極端な例にしか基づいていないものには警戒すること。
  3. 客観的で事実に基づいた応答ではなく、感情的なことばや評価的なことばに頼る人は警戒しよう
  4. 意見や態度、個人的な意見、憶測、個人的な保証、裏づけのない一般化と、しっかりした事実に基づく証拠とを混同しないこと。
  5. 議題になっている内容が、明確で厳密であるよう確認すること。
  6. 証拠が、議論の遡上に上がっている内容と関連があることを確認しよう。
  7. 何か権威が引き合いに出されたら、その権威者の持っている資格や技能が目下の問題と関係あることを見極めるまで、それを鵜呑みにしないこと
  8. 結論が証拠からちゃんと導かれるものであることを確かめよう
  9. 憶測せざるをえないような立場に相手を追い込まないこと。議論の中で必要なステップを勝手に想定して省略しないこと。
  10. 理性的な議論が過熱してしまうのはなるべく避けよう。議論の本筋を見失わないようにすること。
  11. 証拠不十分で、しかも都合のいいものだけ選んでいないことを確かめよう。
  12. 重箱の隅をつついたり揚げ足をとったりしないこと。
  13. 批判的にかんがえること。虚偽を口に出して指摘しないときでも「いまのはおかしいぞ」と自分にかたりかけること。
  14. 議論を聞いたら、結論を受け入れる前にそれを検討すること。

そして最後に、議論する人が肝に銘じておくべきことを引用します。

最後に、どんなに議論の達人になっても、エドガー・アラン・ポー『アモンティリャードの樽』冒頭の一文を決して忘れないこと

「フォルチュナアトから蒙った数限りも無い不快を、忍べるだけは忍んできたものの、彼奴が不敵にも侮辱を浴びせかけたとき、吾輩は復讐を誓った」

世界には小賢しい青二才ならもう十分にいる。あなたまでその列に加わることはない。
(ロバート・A・グーラ「論理で人をだます法」)

でもこの本の一番面白いところは、出版社だと思う。…ってこれが余計なんだな。

*1:つっても訳者曰く「もう少し悪質なものについては網羅されていないものもある」そうなので、そのへんは『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』を参考とのこと