みんな以外のうた

「いつの日か……
『みんな以外』のあたくし達がよりそって……
みんな以外の小さな『みんな』になれたら…と祈ってきたけれど
みんな以外のそのまた「以外」の人が生まれてしまうなんてっっ……!!」
(加賀くの子 永野のりこ「みんな以外のうたR」)


今日はマジで人様に見せるほども無いチラシの裏ですわ。
ということで、前回のエントリのはてなブックマークについてたコメント*1なんですが。

rAdio 無理。そのオタク仲間からすら、拒絶された俺はどうすればいいのか…。そこですら独りぼっちの寂しさを味わわされるのなら、オタクになんかなりたいとは思わない。それに、オタク社会こそ高密度な階層社会ですよ。

うう、ごめんよごめんよう('A`)

でもねえ、なんてかこう、人が救済されるためのルートとして想像されうるものって、究極的には

  1. モテ化
  2. 鬼畜化
  3. オタク化
  4. 執着を断ち切る

の四つになってしまうような気がするんですわ。
でもどれも「水が合う人は合う」っていう感じというか、実際にはどれもそれなりに能力が必要とされるもんです。
こうした喪の救済ルートは実際にはどれも敷居がそれぞれに高くて、どれにも才能的にルートに乗ることのできない、愚鈍でどうしようもない人っつうのは、どう救われれば良いんかなと。
要するに、「体が貧弱で頭もさっぱりきれず、存在感も皆無で第一巻第一話から全く状況が先に進まないというか悪化してくだけの最強伝説黒沢みたいな人は、どうすれば良いのかなと…
オタクになれる人も脱オタできる人もブログや2chでなんか書く人もブチ切れることが出来る人も諦めて生きる人も皆まあ何だかんだでよろしくやってんじゃんみたいな気がしまして…
っていうかネット繋いで喪だの非モテだのなんだの言ってる人や、或いは見てるだけの人でも、みんな色々あんだろけど、結構大丈夫そうだわな!ナニが大丈夫なのか自分で言っててよう分かりませんが。('A`)


いつも一番救われない人のことを考えるのですが…いるかいないかも定かでない人のことを考えても、自意識過剰な僕では同情してる俺ステキみたいな自己満足も出来ないのですが、もしそういう人がいたとしたら、どうすればいいのかなあ。どうしようもないかなあ…


まあ何言ってんだか最初から最後までさっぱりわからなかったかも知れませんけど、たまーにはこういうチラシの裏も有るわなっつうことでもう許してつかあさい('A`)

生まれてこないほうがよかったのに。
ジョージ秋山「アシュラ」)

*1:なにげに見てます('A`)