覚悟さんへのお返事

遅くなってしまいましたが(というか日付かわってますが)どうぞ。

さて、ではぼちぼちとコメントしてきましょう。

「自分の事を棚上げして他人には結構厳しい」的な部分

うーん…具体的にどういった文章からそう思われたのかが分からないのでなんとも言いがたいのですが、確かに本田さんの文章は今と昔、あっちとこっちで逆のこと言ってたりしてますが、僕はそのへんも含めて好きなんですよね。ガンダムの富野監督信者でもあるのですが、そういう支離滅裂な人のそうした部分に惹かれるというか。詐欺師くさいところがあるが、だがそれがいいと。

どういった存在を比較対象とするかによって
浮かび上がってみえる部分が異なるのでしょうね。
DQNや恋愛資本主義者と対にしてみると道徳面が
浮かび上がり、喪男ジェダイ派のような相手と比べると
自由的な面が浮かび上がって目立つようになるでしょう。

なるほど…図にするとこんな感じですかね。
    光源A            光源B
     
   ↓↓↓↓  光の方向  ↓↓↓↓

   ○――――●―――――――//――――◎    
   ↑      ↑           ↑       ↑
   ジェダイ 電波男      次元の壁  DQN詰め合わせ

で、ライトを浴びせる方向が読書感想日記なんかは右側、光源Bからの照射を行って倫理的側面を照らし出し、僕が左側、光源Aからの照射で自由的側面を照らしたみたいな。((いや、それ程たいしたことは言ってないんですが('A`)))逆かな。あってるか。うーん、あまり良い図ではないなあ。改訂版が必要かな。
まあどっちも電波男という書籍の一部を読み取っただけですからね。けっして相反することでもないと思うのですが…

本田氏の本心がどこにあるのか」と
「人はどうあるべきか」という命題は混同すべきではないとは思います

そうですね、命題の混同というのは時々犯していそうな間違いであるなあと特に思いましたね。とくにひたすら脳内で思考していると、だんだんゴチャゴチャになってきて、そういう命題の捉え違いをしていそうなときがよくあります。といってもあまり人に自分の考えを開陳して意見を伺う機会というのも無いですので、あとあと「これって違うかも」という形で思い返すこともしばしばあります。というか今も頭がゴチャゴチャしてきているのであとでみかえしたらえらいことになりそうです。

自分が醜い容姿なのに異性には美しい容姿を求める人間。

というのは、多分「自分が醜い容姿で差別され、苦痛に思っているにも関わらず、自分もまた美しくない異性を差別する人間」と言うことだと思うのですが、外見で他人を差別するのはその人自身がどうであるかに関わらず、するべきではないでしょう。あるいは文字通りの意味だとすれば、容姿「だけ」ということならどうせ年食えば醜くなるんだし、世の中改造人間とかもいるんだから意味無いじゃんと思っています。容姿も心も美しい人間を求めるというのは、それはまあ人間の性つうもんだなむっちゅうかんじですかね。まあ三次元世界じゃあ無理っしょと思ってはいますけどね。外見が美しい場合のみ美しい異性を求めてもいいって話だとそれはそれで如何なものかという気はしますが。
容姿うんぬんという話なら、少しずれるかも知れませんが、容姿も含めてその人のエゴにぴったりかみ合うようでないと、真実の愛には到達できないのではないかなあという気はします。どういうことかというと、キモイその人の容姿を見ても「この人は宇宙一素敵だ」と思えるような人はいいのですが、そうでない人、内心では「気持ち悪い顔…」とか思っている人と言うのは、ある面ではその人のことを否定しているわけだから、やっぱり真実の愛ではないなあとは思います。ただこれはやっぱりその人の価値観によるものですので、何が美しいと感じるかはその人次第だと。でも恋愛資本主義思想に完全に洗脳されてしまっていては、その人独自の価値観と言うのもありませんから、俗に言うイケメンやらDQNやらが良いということになってしまいますがね。僕の伊藤美咲に対する評価は「キモイ」なのですが、世間では「イケてる美人」となってるみたいですし。
なんにしても自分は、互いが互いの外見を神レベルと認識しないかぎりそこに真実の愛は生まれん!と思ってはいますが、ブスは氏ね!というやつはそいつが死んだほうが良いとも思ってますよ。ですので、自分としては蓮海先生のこの言葉に深く賛同するものであります。

僕は自分が「名前を書ければ合格できるレベルの大学」である事は百も承知しておりますが、それでも滑り止めは認めません。
「どうしてもモグラ大学に入りたいんです!」「モグラ大学に入るために生まれてきました!」「これまでに見てきたどんな人よりもモグラ学長はステキです!」「モグラ学長のためなら死ねます!」という、価値観と美観の狂った人にしか受験は認めません。
おかげさまで設立二十六周年を経た現在も、志願者数は安定してゼロです。
http://dolbacky.jp/cider/hasulog/archives/2005/02/post_105.html

互いに「学長が最高に素敵です!」と思っているのが一番ですよねーということですよ。第三者が二人それぞれの容姿についてどう評価するかは関係ないのです。

自分が女性を格下に扱い、逆に相手から絶対的な愛を求める人間。

格下…うーん、特にそうした意図をもった文章を書いたつもりはないのですが、どの辺りにそんなニュアンスを感じましたかね?
自分の理想としては、男女は互いが互いの奴隷であり、かつ互いが互いの主人であるような、そんな関係が理想的かなと思いますね。ホントにもう、甘え甘えられみたいな。お互いわがまま言い放題で、どっちもそれをかなえようとするけど決して苦痛じゃない、逆にそれに快楽さえ感じるような。それが僕の理想です。というかよく妄想する関係です。
一方的に相手を支配したりされたりという関係には魅力を感じませんし、それは相手を道具扱いしてるだけで愛ではないとおもいます。
とはいえど、現実に自分が相手を赦すとかそういう場面なんざどうせ起こりっこないし、例えそうした場面に遭遇したとしても、出来ると断言できないというのが本音ですかね。少なくとも自分の人生には存在しない経験ですから、理念で出来ると言ったところで本当に実行できるかどうかは分からんもんですよ。

まあ、derorinman氏のスタンスは「正しい本田透はこうじゃない?」であって、
それ以上どうこうと言うつもりがないというスタンスであるとは思いますが。

本田透の言葉を解釈してくとこうなるよねー」「俺も割とそれに近い考えなんだよねー」という感じですかね、いまのところ。まああんまし「こうだー!」と固めないでいようと思っております。



とまあざっと返事してたら長くなりましたが、貴重なご指摘ありがとうございました。