読書感想日記復活!読書感想日記復活!(烈海王のノリで)

…で、話は変わるのですが、朦朧とした頭でネットに繋いだらなんとsubscriber先生からトラックバックが!Σr(‘Д‘n)わざわざスンマセンスンマセン(;´Д`)
知らない人のために一応説明しておきますと、id:subscriberさんは電波男読解の魁のような方で、独自の視点と明快な論理から、多くの喪男に「エウレカー!」と言わせたすごいエロ漫画読みの方です。(´w`)
あれは確かに僕自身の主張でもあるんですが、一応電波男の解釈ですので、それ以上突っ込んだことはあんまり書かないようにもしていたのですが、そうですね、確かに

「倫理的な制限からの自由(つまり、そのときの気分次第で行動できる自由)」

というのは大事ですね…僕はこれを「外界とは関係なしに、本人の内面から自然発生的にこみ上げてくる衝動に身を任せること」だと解釈しましたが、間違ってたらごめんなさい。
例えば福本伸行の「天」の最終巻で原田が言ってた「赤木は何も気にかけずスっ…と庭に下りるだろう……!」っていうことかなあと。うーん、分かりにくい例で申し訳ない。
あと

そしてもうひとつ。「自己選択した幻想への自由」というのは、実はとんでもなく扱いづらいものなんじゃないか、とも思っている。特に、「自己選択」という点はね。

その自由は確かに、俺が生きていく上で必要なものだ。しかし、だから他人にとっても有益なものである、とは言えない。難しいところだけどな。

という部分は、自分の自由を推し進めていくと、他人の自由を阻害するものになりうるから危ない、ということでしょうか。それだとすれば、自分の考えとしては、やはり倫理に裏打ちされた幻想を選択するべきだとも思うのですが、そうするとそれはそれで自由が制限されてしまうという(;´Д`)
おつむりがてんてんなくせに、格好つけて小賢しいこと考えるもんじゃないすね(;´Д`)

それから

さらに言えば、id:derorinman 氏がこのようなエントリを書いたのは、id:derorinman:20051102 の時点で、必要以上に倫理を重視する声が大きく感じられたからなんだろう。しかし俺にとっては id:subscriber:20050412 の時点ではまったくといっていいほど電波男の中に倫理を見る声を見かけなかったからなのだ(自由については記憶がないのでアレだが)。

ということについては、なんというか、例えば最近の電波男スレとかが、電波男とは関係ないあさっての方向に行ってしまっていたりするような気がしたり、モテ非モテの議論とか*1に対して、どうかなあ、ちょっとついて行けないなあと思っているだけなのです。電波男の倫理が錦の御旗のようにされるのはどうかなあと。ただきちんと論理だてたわけではなくて、漠然とした思いなのですけど。
自分としてはブログの名前にも戴いてる通り、オロカメンのように言い切りの形でおろかものめーとやるのに憧れたりもするのですが、そうすると確実に議論に巻き込まれますし、議論となると根がヘタレチキンなもんで滅法弱いのです。なので自分はいいとこデロリンマンみたいな穏健派なのです。*2

しかしなんか、氏の主張を見てると俺が電波男タカ派の幹部みたいな気がしてきた。いやいや、タカ派結構。

幹部と言うかなんというか、本田透がイエスキリストだとすればその使徒みたいなもんですかね。「これがメシアの教えだ」みたいな。フォローになってねーか。

関係ない話なんですが、しかもなんとなくで恐縮なんですが、本田透さんが柳下毅一郎さんの影響を受けた…といったらちょっと違うのかも分かりませんが、尊敬していらっしゃいますよね。で、id:subscriberさんは山形浩生さんの影響を受けているのかなあと。紹介されている本なんかからそう推測したのですが。
柳下さんと山形さんはかたや映画秘宝、かたやシンクタンクという違いはあるのですが、根底で共通する正義感みたいなものを持ってるように思うのですね。それでいて、二人の志向性は、柳下さんが映画や殺人鬼のような文系的なものにむかうとしたら、山形さんは環境問題とかフリーソフトとか経済とかの理系的なものに向かう、という違いがあるのですね。
もしそうだとしたら、このへん

  • 本田透=文系的思考を継いでいる
  • subscriber=理系的思考を継いでいる

という対比で、subscriberさんの物足りなさっていうのはそのへんから生じるものなのかなあとか思ったりしました。
だからなんだよって言われると何もいえないのですが、なんとなくそんなことを考えたりしましたよ。(´w`)

*1:つってもきちんと把握しているわけではないのですが、あの辺の話を追いかけてもなんにも得るところがなさそうに思うんですよね。

*2:ということでidがderorinmanなのです。別にすでにorokamenがとられていたからやむなくというわけではないのです。ええ。