「萌え経済学」感想

萌える男」を早く読みたいなあとか思うのですが、僕の住んでる地方では未だどの本屋も入荷しておらず、仕方ないのでAmazonさん待ちになります。うーむ待ち遠しい。あ、「色単」頼むの忘れてた('A`)。

さて、萌える男を読む前に、森永卓郎先生の「萌え経済学」のほうを読みましたよ。
萌え経済学、とぶち上げていますが、直接的に萌えに関連したものを取り上げているのは主に第一章と二章ですね。残りの三章と四章は、それまでに語られた萌え市場の拡大という説を裏付けるために、消費傾向の変化とそれに伴った技術変化について書かれておりまして、後述しますが、まあ萌えに関連した事柄を述べたという形ですかね。
ということで感想文がてら、この本のご紹介をしたいと思います。


こないだのツンデレ電波祭りでは、森永先生が「電波男は僕が見た萌え関係の書籍のなかでぶっちぎりに素晴らしいです!」と言っていたのですね。その時は「お世辞かなあ」とも思ったのですが、この本を読む限り、電波男と同じような事言ってたり、影響を受けているような部分がちらほらと垣間見えますので、「あの言葉は本気だったのかも」と思いました。例えば第一章の一番初めで、こう書いてあります。

最初に「萌え」の定義を正確にしておこう。「萌え」とは、アニメなどのキャラクターに恋をすることだ。恋をするというのは、単に好きだということではない。キャラクターに対して、まるで人間相手と同じように恋をするのだ。人は恋なしには生きられない。(中略)人類の歴史の中で、初めて人間が生物でないものに恋することを始めた。それが萌えなのである。

と。
そこから、ササキバラ・ゴウの「美少女の精神史」などを参考にしたであろう「萌え」の供給側の論理などを説明して、その後日本の戦後の結婚制度と雇用制度の変化から、「萌え」の需要側の論理、つまり喪男はいかにしてオタクになったか?という話を展開してゆきます。こちらも電波男の影響を受けていますね。
このあたりで個人的に興味深かったのは、ホリエモンのお話です。ホリエモンの「愛は金で買える」というセリフは、本人曰く、直接愛そのものが買えるということでなく、女性を快適にする環境を作り出すことが出来るから、結果的に愛を買えるのと同じだと。まるで「めぞん一刻」の三鷹さんみたいな理屈です。ちょっと違うかもしれませんが。しかし、それって要は金が愛されてるだけでは…まあホリエモンは全部わかってやってんだろうから良いのでしょう。おいおい「銭ゲバ」のレビューでもしながらホリエモンについても語ってみたいですね。
あとSPA!での実験から、オタクは萌えアニメでも、一般人がAVを見たときと同じような脳波が出る…むしろオタクはAVを見てもそこまで興奮しないが、二次元のほうがより興奮する!三次元などいらぬ!というようなことを言っているのですが、ソースがSPAか…(;´Д`)ううむ。まあ、別にSPA!の編集部が適当にでっち上げたわけでもないようですが…なんか、もうちょっと説得力のあるような媒体での研究はなかったのでしょうかねー。
このように、第一章では萌えの誕生と発達を、供給側(コンテンツ製作者の論理)と需要側(オタク化した喪男たちの論理)の両方向から説明しました。第二章ではその萌え文化を展開してゆく諸産業を、メイド喫茶を中心に見ていきます。

第二章ではまず、オタク的な新しい産業を挙げてゆきます。海洋堂などのフィギュアから、客が商品を売り出すレンタルショーケース、萌え関係の商品のみ、メディアや新品中古に同人誌をわけ隔てなく扱うK-BOOKSなどから、ニーズの細分化と経営戦略の変化による、需要者と供給者の関係の変化をみていきます。そこからメイド喫茶という「メイド」と「ご主人様」のロールプレイを主眼とした産業について、ディズニーランドの進化系という観点で論じます。この辺、森川嘉一郎の「趣都の誕生」とからませて、もうちょっと突っ込んで書いたら面白いかなと思いました。
そしてミリタリー系などにも進出する萌えと、キャラクタービジネスとしての韓流ドラマについて。ミリタリーのところでは、もう一歩踏み出して、萌えと他ジャンルの趣味との融合そのものについて包括的に論じて欲しかったなと。あと韓流スターと主婦の関係は二次元とオタクと似ているという話しですが…ここもちょっと賛同しがたいところではありました。まあ森永先生はblogに女性の味方とか書いてあるんで、「イケメン狂いのババアどもの性、悪なり!ド━(゚Д゚)━ ン !!!」…とは言えないでしょうが、そもそも思ってもいないか。
結論として、萌え市場に大企業が参入するには、多様化が進みすぎて難しいと。

三章では、これから産業として成長するためには、俗に言う高付加価値化が必要で、高付加価値市場においては、価格競争に巻き込まれない必要があるので、その手段として「需要が飽和しない市場」が生まれるのだが、それはコレクション市場と芸術・文化市場、恋愛市場の三つがありうるのだ、という論を展開してゆきます。萌え市場はこの三つにまたがった究極の市場なんだよ!みたいな感じで締めるのかと思いきや、消費の傾向が変わってきてライフスタイルが変化していますねー、みたいな感じで終わっていたので少し肩透かし。あと恋愛市場を容認していたりする部分が僕はどうかと思いましたが、アートが齎す付加価値市場というのは面白いですね…ただ、「同じものでも『アート』としての評価を受けると、突然高い付加価値を生むようになる」というあたりを読んでいるとき、サルまんの「ちんぴょろすぽーん」が頭をよぎったりしたのですが。なんでだろ。

そして四章は、ヤフオクたのみこむなどのIT技術の発達が生み出した新しい事業は、供給者の論理で動いていた市場というものを、需要者の倫理で動くという新しい形に変化させている、という話。需要者の倫理で動く、つまり細分化されたニーズに対応するような市場であるということは第二章で見たような萌え市場につながってくるのだ、と言いたいのだと思うのですが、やっぱりちょっと言葉足らずで、萌えとどう関係するのかが、ざっと読んだだけでは分かり難いのが残念ですね。
まあこれらはネット上の連載を中心に編集されたものだそうなので、仕方ないのかも知れませんが。

で、エピローグでは小林王子の話などから「イケメンDQNは悪だ」とか「オタクは心優しき男たちなんだ」というニュアンスのことが書いてあり、この辺り本当に電波男の強い影響がみえますね。なんにせよエピローグで、森永先生は三次元にこだわるオールドタイプではあるけれど、萌えが日本を支えるようになるとガチで言っているんだ、ということがわかります。

萌え経済学という本の内容は、どこかでも言われていましたが、ちょっと中途半端な印象を受けてしまいます。内容が適当に書かれたものという意味ではなくて、全体的にもう一歩突っ込んで話して欲しかったなあと。オタクにとっては自明のことも多かったですし、それ以外の人が読むにしてはやや投げっぱなしのような気が。この本の要点は、プロローグに書かれてあるとおり、零細企業や個人が供給者となりうる、売り上げが循環する市場としての萌え市場が、経済や社会の構造を変化させるということなのですが、どんな構造がそこから現れてくるのか、というのが、断片的にしか書かれていなかったり、示唆的ではあるけれど、ハッキリと書かれてはいないのですね。まあそれ書いちゃうと予言書みたくなってしまうのですが、どうせですからその辺までぶち上げてたらもっと面白かったのになあ。
それでもこの本は中々面白かったですよ。いくつかの考えるヒントを提示してくれたように思います。先ほども書きましたが、電波男よりかは趣都の誕生と絡めて考えると面白い書籍であるようにかんじました。また後日にでも書きたいと思います。*1

*1:物凄ーく漠然としか考えてないんで、まとまるかどうかわからないのですが(;´Д`)