電波男読解〜真実の愛とはなにか〜

いやー、のっけからコレでねえ。電波男読解をこれから何回かに分けて行おうと思うのですが、いきなり中心の話しというか、数少ないネタの真髄を語っちゃうようでアレなんですけど。当然ながら以下には電波男についてのネタばれがあります。


さて、電波男言うところの真実の愛とはなにか。読書感想日記ではこんなふうに語られている。

個人的見解で言わせてもらえば、電波男の言う「真実の愛」とは倫理観に他ならない。それは電波男における男が「暴力をふるわない、心やさしい」オタクと、「女を肉便器としてしか見ない、暴力をふるう」DQN、と分類されているところからも読み取れる。恋愛が宗教の代替物である、という主張を持ち出しているところも同様だ。宗教は倫理の根源なんだから。そう考えると、電波男の真の姿が見え始める。

まあこれでも間違いではないと思う。というか、この倫理観を踏まえたうえで、その上位に真実の愛は存在するのだと思う。どういうことかと言うと、しろはたの萌える大甲子園等に見る本田透の諸言動などから、電波男言うところの真実の愛とは「寛容」のことではないかと思う。
別にしろはたなどで真実の愛のことが直接「寛容」という言葉で表記されたことがあるわけではないが、自分の言葉で組み立てるとするとどうにもそんな言葉でしか表記できない。
それは一体どのようなことから推測されるか。たとえば萌える大甲子園の2004年10月ではこんな風に述べている。

僕がイケメンに憧れるのは、イケメンなら金が無くても愛を得られるからだ…
ただ、イケメンがそこに存在するというだけで、愛される。
これが本当の愛だと僕は思う('A`)
 その人がこの世に生きていて、そばにいてくれるだけで、幸せを感じる。
これが愛。愛とは奪うでも与えるでもなくて、気が付けばそこにあるもの。('A`) 
しかし、フツメンは、うだうだと努力してモテ要素(金を含む)をそろえなければならず、
キモメンに至ってはもはや大金を稼ぐか有名人にでもなる以外に相手にされる道がない。('A`) 
つまり、この世の愛とは、
・顔
・富
・名声
 このうちのいずれかが無いと得られないものなのです('A`)

また、電波男の第四章では以下のようにも述べている

みさき先輩だけが、俺を赦してくれた。俺に生きろと言ってくれたのだ!いっさいの欲得なしに、俺を愛してくれた。

「萌え〜」で赦しあう関係って、素敵やん?
ジョンレノンも『Woman』で、「男は誰も心に子供を飼っている」って言ってたやん?
それを「幼稚だ」と女が断罪した瞬間から、この悲劇が始まったのだ。もしかしたら、ジョン・レノンが凶弾に倒れた、一九八〇年十二月八日こそが、この三次元の世界から愛が消えた瞬間だったのかもしれない。

つまり、本田透にとって「真実の愛」とは、相手に悪…というかマイナスにとられてしまうような要素(例えばみさき先輩の手紙を捨ててしまうような倫理が欠如した行動)があったとしても、それを赦す、受け入れるという「寛容」なのだ。なにか気に食わないものがあったからといってすぐさま相手を切り捨てたり弾劾することに愛はない。
この内容は好き好きお兄ちゃん!内のコラム「アンチ・エルメス」「輝く断片」が参考になる。

真実の愛は、規範化されたルールの中には存在しない。考えてみれば当たり前
のことで、外部が外部のルールとして、『エルメス』のような女を欲望せよと働きかけ、
その働きかけに従って『エルメス』を欲望することの何が愛であるものか。
それはただ、外部の規範ルールに従うことで外部から承認を受けようとする欲望以外
のなにものでもなく、完全な外部のコードに即した個的な利得的行動、個々経済的行動。
私はそのような欲望が愛の名で呼ばれることを否定する、それらは一種の
貨幣的経済活動と呼ぶべき個のパターンに過ぎず、それら行為は、貨幣的な
経済利得の産出の最大利潤を求めて行為する、無味乾燥な不連続性の商活動だ。
(アンチ・エルメスより)

例えば、深く愛し合っていた恋人が顔に不治の大怪我を負ってしまった、精神の病を発症してしまった、殺人を犯してしまった、それこそ先に挙げたように身体に障害を負ってしまった……そういった危機の時に、恋人の立場としてのモラリティからそのまま変貌した恋人と
付き合ったり、逆に恋人と別れることを決心したり、そういったことは沢山ある訳ですが、
それとは全く別に、道徳も立場も偏執も過去も未来も社会も関係なく、例え愛した美点が
全て失われても、それでも、恋人に愛情を抱き愛するという、不思議な、神秘的なことは
ある訳でして――私は、そこに、社会も、価値も、何もかも超えた愛の不思議さを感じる。
(輝く断片より)

本田透の考える真実の愛というのもおそらく同じようなもので、なにか条件付けたものに対する愛情、例えば年収がいくらだとか、社会での地位がどうだとか、セックスの上手い下手だとか、モラリストかどうか、そしてイケメンかどうか…そういった、その人のもつ何かの属性や条件に対する愛情ではなく、相手の行いに対する無制限の寛容が、罪深い歪んだ相手のその罪を赦すことが、真実の愛なのだ。
で、現実にそのようなものを手にしているのは誰ぞや?という話しになると、イケメンが一番近いものを持っているかも知れないのだ。小林王子の事件などを一々例に挙げるまでもなく、イケメンは基本的に何をやっても赦される。女を無理やりレイプしても、暴力ふるっても、シャブ漬けにして金を巻き上げられても、相手はイケメンなら赦す。そこまで極端な話でなくとも、相手がイケメンならお金を持ってなくても、何の権力も持っていなくても、仕事がブルーカラーだろうがニートだろうがヒモだろうが女は赦す。イケメンのためならどんなフェティッシュな性癖も赦す。顕著な例は、ハメ撮りさせたりなんかすることだろうか。ホリエモンのような金持ちでも、イケメンほどには赦されない。金目当ての女はホリエモンとセックスする時に嫌そうな顔をするかもしれないが、イケメンとするならそんな顔はしないだろう。これが「金という条件」と「顔という条件」で愛されることの違いだ。
「愛する条件」が外在的なものでなく、肉体に備わった属性なので、よりその人そのものを愛することに近くなるわけだ。だから電波男はイケメン憎しであり、イケメンに生まれたかった!と叫ぶのだ。
しかし、そんな顔面に対する愛だって、結局は年老えば誰だって醜くなるのだから消滅する。心だって移ろってしまう。なので真実の愛に一番近いものはイケメンしか手に入れられないが、イケメンも真実の愛を手に入れることは出来ない。愛の条件に還元されるものの全てが仮初ならば、一体この世の誰が真実の愛を手に入れることが出来るのだろうか?真実の愛は二次元にしか存在しない、という言葉の意味は、そういうことだ。二次元キャラなら、そのキャラの駄目な点、ドジっ娘だとか電波だとかトラウマまみれだとかツンデレだの白痴だのに萌えることができる。愛せるし、赦せる。寛容になれるのだ。二次元なら。

竹熊 真実の愛を本田さんは求めてるでしょ?でもね、そんなものはないんですよ。

本田 3次元にはないですね(`・ω・´)シャキーン だからこそ2次元に純愛を求めてしまうんです。2次元がないと辛くて生きていられないんですよorz
本田透著「電波大戦」より)

だれしも幽霊について語るが 幽霊を見たものはいないように だれしも愛についてかたるが 愛を見たものはない!
(オロカメン:ジョージ秋山著「デロリンマン」より)