興奮と快楽という話

いつまでもアレな文章が一番上に来てる状態はいかがなものかと思うので、更新しようと思うものの、雑事に気力を取られてネットに書くことすらしんどくなってしまう昨今。
さて、毎日毎日お外で色々な人に会います。最近ですと、どこぞの会社の社長さんとかのお話を聞くことが多いのですが、求職活動してるわけでもないのに大人物の話を聞かされると、これが結構疲れます。
ワンマンでのし上がってきたアントニオ猪木系の人たちの話というと、「最近の若者は修行が足りん」的なことを良く仰います。いや、直接そうは言わなくとも、結局はそう言ってる人が結構多いです。
専門的な話は面白いのに、そういう話になるとつまらなくなる人というのは結構多いので、へえ左様でありんすかと聞き流していることのが多いのですが、最近ようやくこういう人の世界観がわかってきました。
こういう人たちに大体共通してるのは、福本伸行的世界観というか、「人間は常に勝負をするべきだ!そうでなければ生きていけない!そして人生の楽しみはそこにあるんだ!」的な世界観なんですね。仕事であれ恋愛であれ何であれ、とにかく積極的に何かに働きかけまくって、現状を改善することが大事なんだ!っつう価値観。
なんで、こういう人は「自分と価値観が異なる人とかでも積極的に語りかけていくべき」「自分には嫌な人物や辛い状況があっても、そこに飛び込んで、なんとか自分や周囲を変えるように働きかけなくてはいけない」的な考え方をしています。
そこから「自分にとって、ぬるま湯的な空間で閉じていくのは良くない事だ!」的な考え方を経て、「自分の世界に篭っていこうとするオタクはダメだ!」的な発想に至る人が多いんですね。で、向こうが僕をオタクだと知ってたりすると、そういう難癖つけてシメてくるという展開になって、「ほあーん」という気分になります。
「現状を改善するためには、なんにしても動くことが大事」っつう考え方自体は確かに大事なことだと思うのですが、そんなん『天』の最終巻読めば誰でもわかるわ!自分としては「妄想に逃げてる人だって、日々の生活はあんたに死ぬほどコキ使われる毎日なんだから、どっかタコツボ的な世界でヌクヌクしてる部分押さえるのもええやん」と思うので、こういう話聞いても、あんまり心動くことがないですな。高校生くらいで聞いてたらまた違ったでしょうけど。


で、岡田斗司夫も以前これに通ずる話してた気がするなあと。
何に載ってたかと本棚をあさったら、糸井重里と対談したときの話だった。

糸井さんが言ってるのは、「もっと楽しく生きろ」ということ。
つまり「人生の喜びとは快楽である」というテーゼ。
乱暴に決め付けるけど、僕は、この考え方はかなり女性的でM的だと思う。
僕にとっては「人生の喜びとは『興奮』である」というのが正しい。
岡田斗司夫 「月刊 岡田斗司夫」より)

話の流れとしては、「個人の力の及ばない、コントロールしようのない状況に対して、それでもコントロールしようとする人間=サド=岡田斗司夫=状況に戦いを挑む『興奮』に人生の幸福を置く人」「状況はどうにもならないから、自分が最大限楽しめる方向でいこうとする人間=マゾ=糸井重里=状況に遊ぶ『快楽』に人生の幸福を置く人」だと。もしかしたら読み違えてるかも知れませんが、たぶん合ってるかと思います。*1


で、「人生は勝負」みたいに考えてる人は、この話で言うと「興奮」に人生の幸福を置いていて、オタクとか喪男…というか「勝負ばかりはめどいから逃げる」と考える人は「快楽」に人生の幸福を置いてる、という風に分けられてるんじゃないなと。
状況に対して働きかけを行って、それによって得られる結果に幸福感を感じる人と、状況への働きかけを放棄して、一旦脳内をハッピーな状態にすることに幸福感を感じる人という分け方です。
たとえば異性と交際できるかどうかという話ですと、女にモテネーっつう状況があるとして、興奮に重きを置く人は「とりあえず声かけろよ、うまくいけば付き合えるし、ダメなら『あの女にフラれた』って笑い話が出来るじゃん!」みたいな思考するのに対し、快楽に重きを置く人は「フラれた後の社会的リスクその他諸々考えたら、エロゲーエネマグラ買った方がよっぽどお得で幸せ」みたいな思考になると。
だから興奮派の人たちが「修行が足りん」「動かなきゃダメだ」っていうのは、「状況に戦いを挑むにしては全然力が無いのに、呑気にしすぎだ!」とか「まあ力はなくとも、動いてさえいればなんらかの影響が自分や他人にあるだろ」つう考え方をするからなんですな。
でも快楽派の人は「いや、修行とかしたくないから。してもどうしようもないし」「動くと他人がシメてくるので嫌です(><)」という返事になるわけです。
で、それを聞いた興奮派の人は「ホントは他人にシメられても状況を変えたいんだろ!」と言ってきて、快楽派は「いや、ホントにシメられる位ならいらんのです」と答え、で「ウソ付け!」といわれ「ウソちゃうわ!」と返して………
この断絶は、そもそも互いの人生観というか世界観の違いなので、割かしどうしようもないものです。でもお互い自分の方が正しいと思ってるので「興奮」の人は「快楽」の人に「自分を甘やかしとる!許せん!プンスカo(`ω´*)oプンスカ」と怒り、「快楽」の人は「興奮」の人に「うざいわ!ほっとけ!(’A`)」と怒るわけですね。
でも、どっちも本質的には『こっちの方が幸せになれる』つう宗教に過ぎないんで、信仰が違うということを認識しないといけないんですな。向こうの宗教を信仰している人に自分の神様を崇めさせようとしちゃいけないんですな。
この信仰も結構、人によって時々行ったり来たりしやすいもんですけど。


なんで、最初の話に戻って、福本伸行的世界観に生きている人が「(脳内に)エクソダス、するかい?」な人をシメてきたときどう対処しようかというと、宗教の勧誘みたいなもんですから、向こうも善意(と意地と体面)でやってるわけですし、拒絶する態度をとるとますます付け込まれるので、まあ「宗教が違う」ということを素直伝えるしかないのではないでしょうか…


でも他人をシメる人って、口では自分の価値観をちゃんと相対化してるように言うけど、心の中では絶対認めてないんで、そこがなあ…(’A`)
もう、そんなことよりオナニーして寝よ。

オレは抗った…!
屈服せず……
抗った……!
戦った……!
戦ったはずだ………!
…………
だから…
なれただろ……?
あの夏の日のアリに…!
(黒沢 福本伸行最強伝説黒沢」)

「見てみ。燃えたらなくなるもんやんか。
あんた、こんなもんに何で一生けんめいに。
死ぬやも殺すやもしれんほど何をそんなに。
何でせんでええ苦をするの。
今がいややったら逃げたらええやんか。」
(かの子 西原理恵子ぼくんち」)

わしも天地がすぎゆかぬうちに「幸福の甘き香り」がかぎたい…
ねずみ男 水木しげる「幸福の甘き香り」)

*1:詳しくはこっちで <http://www.1101.com/petit-cre/>