若者の変貌の果てに腹黒キャラ萌えの明日を見た

これからしばらくのあいだは、あたしらしくないほうが都合がいいわけだものね。むしろ意識して今みたいに自分らしくない行動をとったほうがいい気がする。キャッと叫んで飛び跳ねてみたり、頬を赤く染めて恥らってみたり。それもあまりにあからさまだと、かえって演じていると疑われそうだけどね。
だったらいっそ、寡黙なお嬢様をよそおって黙って微笑んでいようかしら。馬鹿みたいだけど、ボロを出すよりはずっといいはず。
やれやれ。面倒なことだわ。
友桐夏 「白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)」)

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

この本はありがちな直感的・印象論的に「最近の若いモンはなっちょらーん」という若者論に対して、アンケートなどの調査から得たデータをもとに検証し、否定・肯定おりまぜて現在の若者を分析した論集です。
アンケート対象って神戸と杉並区だけかよとか、年度の比較って92年と02年の二つだけでええのんとか、現状はわかったけど結局それからどうすりゃいいんだっつう部分もありますが、割と大いに納得できる指摘ばかりで、凄く参考になります。コミュニケーション論だとか自意識の有り方だとか、この手の話が好きな人にはおすすめ。


で、実はまだ主要なところと思われる1・4・5・7章しか読んでないのですが、友人関係・自己意識の変化ということで、結構面白いことが書いてあります。
これから何回かにわけてこの本の内容をまとめながら、色々と関連したことを書いていこうと思います。
まず五章の自己意識の話についてをちょいとまとめてみましょう。


現在の若者の自意識をめぐる話として、「自分らしさ」や個性への加熱、またそうしたものへの若者の共感に衰える気配は無く、一方そのような自分らしさを不確かなものとして、確かなアイデンティティの確立の必要性を主張する大人の圧力も強い。それは教育基本法改正みたいな具体的な政策なんかにも反映してきている。


ここで独自調査から得られたデータをもとに見てみると、確かに若者のアイデンティティが衰弱しているという指摘は正しいようだ。一貫した自己に対する志向が弱まりながら、自己肯定感が増えていたりすることから、幼稚なエゴのせいで自己中心的な傾向にあるというのも正しいかもしれない。
しかし、「自分がどんな人間かわからない」みたいな自己喪失感はとくに高まっていたりはしないので、単純にアイデンティティが衰弱してきているのではないようだ。ではそのアイデンティティの不確かさとはどういうことかというと、それは若者の自己の可変性や多元化にある。

自己の可変性=多元性とは、場面によって自分のキャラが違うということ。そして自己拡散(アイデンティティが確立してない)と自己の多元性というものは同一視できない。複数化した自己のいずれも本当の自分と思っていたりする場合も有るからだ。
このような自己の多元化は、「素顔の複数化」と「仮面の複数化」という二つの方向を持っている。前者は「場面に応じた複数の顔の背後にある自己そのものの複数化」で、後者は「偽の自分(仮面)を本当の自分(素顔)から切り離した上で、仮面のほうを複数化」することである。


多元性による自己意識の類型をチャート図で示すと、以下のようになる。

  • 自己の状況性(状況に応じて自分のキャラを使い分けているか)
    • あり→自己一元型。どんなときでも同じキャラのままで一貫していると自分では思ってる。
    • なし→多元的自己。状況にあわせてキャラを使い分けている。また、その中での自己の戦略性(それを意識して行なっているか)は
      • あり→戦略的自己。状況によって判断しながら自分のキャラを使い分ける。その中での自己の仮面性(場面で異なる自分のキャラを「偽りの自分」だと思っているか)は
        • あり→仮面使い分け型。状況によって意識してキャラを変え、あくまで演技として接しているのだと思っている。
        • なし→素顔使い分け型。状況によって意識してキャラを変えるけど、全部あくまで素顔の一つだと思っている。
      • なし→非戦略的自己。状況に合わせて自分を使い分けているけど、別に意識してやってるわけではない。だからどちらかというと自己が勝手に増えてしまう状態。またその中での仮面性は
        • あり→仮面複数化型。状況によって意識せずキャラ変えてるけど、それは偽りの自分と思ってる。
        • なし→素顔複数化型。意識せず状況によってキャラが変わるけど、全部自分の素顔だと思っている。


上記の分類を当てはめると、現在の若者は割合として仮面使い分け型が25.8%で最も多い。僅差で素顔複数化型が25.2%と多く、少し離して仮面複数化型14.0%、素顔使い分け型12.2%、自己一元型13.2%、その他9.6%*1という順になる。殆ど8割近い人間が多元的自己意識を持っているのだ。


多元的な自己意識は、自分のアイデンティティが不確かだという意識が強く、また常にキャラは同じであるべきという意識が弱い。特に仮面性を認める人こそアイデンティティが不安定な傾向にある。様々な自分のキャラを、いずれも本当の自分とする場合に比べ、その中に偽りの自分を見出す場合のほうが孤独感や虚無感を感じやすいのだ。


…ということで見てまいりましたが、このように仮面を使い分ける自意識を持つ人、というのは、若い世代になればなるほど多くなるそうです。
で、ここで思うのは、若いオタクは仮面使い分け型が多いんでないかと思うのです。
最近よく、10代から20歳前後くらいのオタクだと、服装もそこそこオサレなカンジで半分脱オタファッションみたいにしてる隠れオタみたいなのが多いといわれるのですが、自意識過剰なオタクのこと、「ああ、俺って奴は本当はオタクなのにマルイで買った服でこんな格好して」みたいに思ってるでしょう。これなんかは「仮面使い分け」と言ってもいいのではないでしょうか。
また、それが自分のやりたいようにやってるだけだと思っているなら、「素顔複数型」というか。
いずれにせよ、若いオタクの多くがモテ志向みたいなものをもってるようになって、隠れオタの生息数が増えている(つっても確証ないけど)ことは、キャラぶれしてるオタを増やしているということなのであります。多分。


さて、ちょいと話がかわるのですが、このような多元的な自意識というものを、友桐夏さんの小説などは描いているのではないかなと思います。

白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)

白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)

僕が思うにガールズレビューシリーズ*2の良い所は、なんつってもこのキャラクターの腹黒さにあります。
偽りの自分を創りながらも本当は素の自分が愛されたくてしょうがないというキャラたちがたまらんわけなんですが、以前のエントリでも述べたように、「腹黒キャラが萌える」というのは、上辺だけ演技して他人とつきあっても、「素の自分」が受け入れられないことが不満、という人が、同じく上辺は演技してても本当は受け入れられたいというキャラに自分を重ね合わせて萌えることで、自分で自分の「素」を承認するという仕組みなわけです。
ですので、自意識に多元性や仮面性をもつことで孤独や虚無感に悩まされる若人たちは、腹黒キャラに萌えることで癒されるのです。つまり、これからのムーブメントは腹黒キャラにあると僕は見ているわけなんですよ!
今でこそ琥珀さんとかマナマナとか月島美夏とかは、ちょっと鬱成分入れようとかちょっと猟奇成分入れようとか電波入れようとか、そういうメインのヒロインとかシナリオにスパイスとして付け加わるだけの役割じゃないですか。
「まあこういうゲテモノもたまにはあっていいけど、やっぱり皆基本的にハンバーグが好きでしょ」みたいな思考は、おそらくこれから5年か、長くても十年以内に時代遅れのものになるに違いないのです。
これからは「まあ皆基本的には腹黒かったりすぐ主人公殺そうとしたり養豚場の豚を見るような目で見てくるようなキャラが好きだけど、たまには隣に住んでるドジだけど素直で健気な幼馴染とかいても良いよね」という風な考え方に逆転していくでしょう。
なぜなら、上に示したように、若年層の自意識の傾向は多元的になっている、つまりツンデレ的になっており、また、その中でも自分は仮面を被って他人と接しているに過ぎないのだと思っている人の割合のほうが多いのです。
そして上で述べたように、人が萌えるのは究極的には自分自身なわけですから、この若者層がエロゲのメイン制作・購入層に入ってくる頃には、多元的なキャラをこそ求めるようになるのです。
ですので、オタク界においては今後、多元的な、特に自分を偽る仮面をつけた腹黒キャラを求めることになるのです。


これに付け加えますと、電波男などでもいわれましたが、オタク界(特にエロゲ界)は日に日にリアリティを求める傾向にあります。その流れの一つが「主人公をキモオタの自分に同化させる」キモイ系なのでしょうが、この流れとともに、「ヒロインを現実にありうるキャラに近づける」ような、ツンデレなどのムーブメントもあります。*3
ツンデレというのも、状況によって態度を変える多元的な人間なわけです。現実の多元的自己意識をもつ人間にヒロインを近づけてるわけですよ。今のツンデレはまだ進化の試行錯誤段階、生物でいうならアノマロカリスみたいな段階です。ですのでツンデレの進化は、素直になれないだけのツンデレから、意識して上辺だけ人当たりの良いキャラを作って主人公に接してくる腹黒いキャラへと向かっているわけです。


何度も繰り返しましたが、もう一度まとめます。

  1. 今の若者達は状況によって自分のキャラを使い分けたりするよ。
  2. とくにそれを意識して演技してる、仮面をつけてる人…腹黒い人が多いよ。
  3. 若いオタクも仮面をつけてるよ。
  4. ガールズレビューは面白いよ。
  5. じゃなくて仮面をつけるひとは腹黒キャラに萌えれば救われるよ。
  6. っていうか腹黒い人は腹黒い人に萌えるよ
  7. 最近のツンデレブーム(もしかしてもう終わった?)も腹黒萌えへと向かってるよ
  8. とにかく俺は腹黒キャラが大好きだよ。
  9. よっぴー可愛いよ可愛いよよっぴー


三次元にせよ、二次元にせよ――腹黒キャラは、他人と上辺だけの薄い関係を取り結びがちです。
しかしそれは、他人におびえるあまりに、根底にある情の深さを押し隠したものではないでしょうか。ツンデレの系譜を引くものである以上、そう考えられます。
そうならば、深刻な愛情不足の喪男たちや、喪男予備軍の若いオタクたちには、自らの似姿としても、互いに赦し合うべき他者としても、腹黒キャラが必要なのではないでしょうか。
「腹黒ヒロイン大全」が出る日も、恐らくはそう遠くないでしょう。


っていうことで次回はコミュニケーションの話だどー('A`)

*1:その他ってなんだろ…

*2:特に白い花と春待ち

*3:この解釈について異論もあるでしょうが、自分はキモイ系ツンデレも家族萌えも、繋がってたり外れてたりするけど、根源的には同じところから出発している独立した動きと思います。とにかくツンデレはこういう流れで来てるんではないかな。いずれ考察するかしないか。