ゆりえさまは願い事の全てを叶えなくても良いという話

西村「僕は生徒会長になりたい。神頼みをしてもだ。一橋さん、どうすればいい!?」
ゆりえ「私に…言われても…」
西村「君は神様なのに相談に乗ってくれないのか!」
ゆりえ「だって…それってつまり、私にひっこめってことで、そんなのずるい」
西村「ずるくない!神様なら困ってる人を助けてあたりまえだろ!僕一人を助けられない神様に、学校を救えるわけが無い!」
(「かみちゅ!」第十話「君にきめた」より)


ということで先日の仏教本読み終えました。

いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1)

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現在はこれの2巻目を読んでいるのですが面白いですね。
これを読んでいたら「かみちゅ!」のエピソードが思い起こされたりしました。
かみちゅ! 5 [DVD]

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かみちゅ!の第十話で、主人公のゆりえさま(中学生で神様)は、友達の祀にのせられて生徒会長選挙へ立候補します。そこへ同じく生徒会長に立候補しようとした西村君が、ゆりえ様に対抗心を燃やしまくります。彼はなんというか「お堅いスネオ」みたいな性格で、真面目なんだけどそこそこに姑息な部分があったりするんですね。まあなんだかんだで憎めないキャラなのですが。
さて、選挙のために神様の無料お悩み相談室を開いたゆりえ様。神様の力で願い事を叶えたりはせずに、本当に悩みを聞くだけみたいな感じなのですが盛況です。
そこへ西村君が現れて、上の引用のような問答をすることになります。
ここで彼が言った「神様なら困ってる人を助けてあたりまえだろ!」という部分。これはゆりえの立候補を取り下げようとする彼の策略ではありますが、神様というものをこのように
捉えてる彼の言葉に、ゆりえさまは悩まされます。

「光恵ちゃん…神様が、困っている人を助けるのって、当たり前なのかな…それって、神様の義務なのかなぁ…」
(一橋ゆりえ 「かみちゅ!」第十話「君にきめた」より)

神様は困っている人を何でもたすけて、願いを叶えてあげるべきか?この問題について述べてるような部分が、例の本の中にあったものですから、ちょっと抜き出してみましょうか。

全知全能の神様というのがいたとします。勧善懲悪の原理に基づいて、人間たちに守るべき戒律を与え、その戒律を遵守したか違反したかを最後に審判して、天国と地獄に人々を振り分ける神様。
神さまというのは、こういうものだろうと思っている方も多いと思いますが、これは、いわば「幼児のための神さま」です。
内田樹 「いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂〈1〉」)

そんな万能の神さまがいたら、皆「そいつを崇めてるだけで世の中が良くなる」と思いこんで、自分から良い事をして世の中を良くしようとかする気がなくなってしまう。また、世の中が悪いのは、神さまがちゃんと働いて無いせいだ、俺は悪くない、だって俺はちゃんと神様を崇めていたもん。それ以外は何もしなかったけど。という風な考え方を生んでしまう。
つまり、そうした全能の神さまというのは、「みんな他の奴が悪いんだい」というガキんちょのような理屈をこねる奴のための神さまだから「幼児のための神さま」というわけです。
こうした「幼児の神さま」は、逆に言うと失敗や願い事を聞いてくれなかったりなどが絶対に許されない神様なのです。

「幼児の神さま」は九九%の確立で勧善懲悪の捌きを下しても、ただ一回の失敗で、「あんた、神さま失格だよ」と偉そうな顔をした信者たちに簡単に宣告されてしまうのです。つまり、神さまは、全知全能であればあるほど人間の成熟を妨げ、信仰心の涵養に失敗することになります。
内田樹 「いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂〈1〉」)

西村くんにとっての神さまとは、こうした「幼児のための神さま」だったわけですね。
しかし、ゆりえさまの親友光恵はこう言います。

「そりゃあ、お願いがかなったら嬉しいし、楽だけど…そうしたらみんな、何にもしなくなっちゃうんじゃない?きっと、今くらいの不便さが良いんだよ、私たちには」
(四条光恵 「かみちゅ!」第十話「君にきめた」より)

これは、「幼児の神さま」に対する「成人の神」という考え方です

神さまには神さまの仕事があり、人間には人間の仕事がある。神さまは世界を創造した。創造された世界を「住むに値する場所」に作り変えてゆくのは人間の仕事である。だから、「人間が人間に対して犯した罪」は人間だけがそれを贖うことができるのであって、神が人間にかわって贖うことはできない。そういうふうに考えることのできる人間が「成人」である。
レヴィナスはそう教えています。
内田樹 「いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂〈1〉」)

つまり、自分の望みは、神さまや他の人なんかに頼るんでなく自分で叶えろと。神さまのするべきことはあくまで神のみぞ知るところなんだと。
神さまがお願いを聞いて叶えてあげるのは、誰ものお願いを聞くのでもなく、特に明確なルールに沿って救ったり救わなかったりとかでない。だからゆりちゃんは、したいようにすれば良いってことなんですわな。
要するに次の祀ちゃんの言葉に集約されるのです。

「神社の娘として言わせてもらうけどね…努力とお賽銭なしのお願いなんて、かなうわけないのよ!」
(三枝祀 「かみちゅ!」第十話「君にきめた」より)

実は「かみちゅ!」にはこんなメッセージが隠されていたのですね。落としどころが見つからなかったので言ってみましたが。