オタクとスタンドアローンコンプレックスと秋葉原再開発について

財布なくしてからこっちサッパリやる気も消えうせた。('A`)
三が日はATMが使えないのでいつもより多めに金を入れていたことも絶望感にいくらか寄与した。
そもそも、雪で転んだ後しばらくしたら無くなっているのに気づいたので多分その時落としたのだろう。クソっ、これだから冬のイナカは嫌いですよ!豪雪地帯は日本には不要だ!こんな場所に住んでるから人間は未だに不幸なんだ!('A`)
降雪量が10cmオーバーするような未開の辺鄙な地域はオラは日本だと認めねえだ!('A`)
こんな時他人が幸せそうにしているのを見ると純粋な逆恨みの感情がヌクヌクと湧いて出る!俺に関係の無いところで幸せそうな連中は全員俺への嫌がらせをしているだ!呪われろ全人類!('A`)

…とまあ、こんな調子だったのがここ二三日でしたが、ようやく落ち着いてきましたよ。

でまあ新春早々ネガティブ思考をネットにのせてたらホントに鬱で死ぬかも知れないので話題を転換させようとおもうのですが、特になんかネタが思いつくわけでもないので自分の過去日記からなんか書きっぱなしジャーマンなネタがねえかなあと探しまくってたらこれでもかというくらい出てきてしまったので、しばらくはそれで繋いでいけたら良いなあ。

で、数日前にNHKでやってた番組についての簡単な感想を書いたのですが、そのなかで

色々な人が登場していた番組ですが、個人的にちょっと気になったのは「秋葉原クロスフィールド」のプロデューサーだという学者の妹尾賢一郎氏のインタビュー。オタク界隈ではサッパリ耳にしない名前ですが、昨今の秋葉原再開発の仕掛け人みたいな人物だそうで、ってことはDQNが流れ込んできた原因のひとつなのでしょうか。

この人は森川喜一郎氏の論なんかを踏まえて、

秋葉原は個々の人たちによって自己組織的に出来てきた街だけど、只の自己組織化では自分から潰れるのでそろそろガイドが必要。ただそれはコントロールであってはいけない。その微妙なバランスをとりながら秋葉原を次のステージへやっていきたいと思ってる」
というようなことを言っていたのですが、なんかこれがちょっと気にかかっています。

という部分がありました。
まあこの人のごく短い言葉から真意を察するのは難しいのですが、とりあえず勝手に解釈してみると、この人の言ってることって要するにスタンドアローンコンプレックスのことなのかなあと。

※参考URL

上のURLでは、TV版攻殻機動隊で重要なキーワードとなっているstand alone complexという概念について、P2Pのような人間関係のシステムこそがstand alone complex、つまり「独立した個人の複合体」というものではないか、と論じられております。*1
P2Pとそれがどう関係するかというのは、詳細はリンク先を見てもらいたいのですが、要するに原始的なP2Pではパソコンとパソコンとの関係を漠然と積み上げていくだけのものでして、番組に出てきた妹尾氏は秋葉原をそういう原始的なP2Pから出来た街、オタクたちが漠然と「個」を結合していった結果、自己組織的に成り立ってきた街なのであると解釈しているわけです。
なるほど森川喜一郎氏の本を誤読しているんだなと思うのですが、それで妹尾氏は原始P2Pにおいて各PCに目的を共有させる結節点となる存在、中央サーバーを組み立てなくてはならないのだと考えているのです。つまり、リンク先でいうところのナップスターP2Pの社会にしなくてはそのうち秋葉原の耐用年数が過ぎると考えているのでしょう。ちなみにコレ完全に僕の推察で、確固たる証拠はないです。一方僕の考えでは、秋葉原に集うオタクたちが作り上げた社会というのはリンク先で言うところのグヌーテラP2P社会であって、原始P2Pの段階もナップスターの段階も、オタクはすでに超越しているのですね。
つまり、秋葉原を再開発しようとしている人たちは、ダイビルなんかをサーバー、秋葉原の中心地点として、そこに様々な情報や意思を一旦集積して選別、そして再分配することで秋葉原の自己組織化にある一定の目的性みたいなものを齎そうとしているわけです。例えば

この街に、これまで培われてきた産業の集積、技術の集積、そして知名度等の資産を活かしながら、秋葉原を「消費の街」から「創造・生産・消費の街」へとシフトさせるためのハブ拠点として「秋葉原クロスフィールド」は、誕生します。
秋葉原クロスフィールドのコンセプトについて

みたいな風に。ってこれまんま今言ったとおりですね。行政や資本に都合の良い意見を伝播しようとしている。で、その情報の結節点になろうとしていると。
で、実際の秋葉原は無目的な個々人の集積で自己組織化して出来た街ではありません。そもそもそんな街なら今みたいな「萌え」に特化した街へと変質していった理由が説明できません。そこには一定の目的性と、影響することで目的性をあたえた媒介があったわけなのですが、それはナップスター型のように決まった中心地があるわけではなく、「多数の個人がクラスター状の関係を保ちながら、仮想中心点が目的に応じて生まれるような状態」なのです。
例えばオタクなら皆それぞれ趣味が違うわけです。同じ萌えオタにしてもいたる絵がOKな人もいればもう見てらんないという人もいるし、ネギま!みたいなマーケティングで狙いまくってる漫画が嫌いだ!という人もいればネギくん可愛いよネギくんという人もいる。でもそうした趣味のクラスタは結局みんな「萌え」という趣味に収斂するわけで、そうしたオタク趣味の構造が秋葉原の現在の仮想中心点となっているわけです。それまで秋葉原の仮想中心点は「電化製品」であったり「マイコンパーツ」であったりしたのですが、今は「萌え」となっていると。時々によって中心地が変化するわけです。それも特定の影響者がいるわけでもなく、ただ人々の趣味の積み重ねが、個々のオタクの複合体が、自立的に街を創ったのです。

でまあ趣都の誕生と絡めてもうちょい深く突っ込もうかと思ったのですが眠いので今日はもうムリポ

*1:作品中では、stand alone complexとは「独立した個になることへの恐怖感・忌避感から、皆が影響の強い他者に個を重ね合わせようとすること」という意味でも用いられています