最強伝説を作れない黒沢は(1)

田舎のほうの国道とかバイパスなんかを走ってると、周囲には広い田んぼとかその田んぼを所有してる庭付きの家とか、鎮守の森が申し訳程度にくっついてるショボイ神社とか、あって精々ローカルな、夜十時にはしまってるようなコンビニぐらいしかないような、そんな光景が目につきます。そういう土地は別にとなりのトトロにでてくるような自然が豊かな村とかそういうわけじゃなく、ホームセンターとかのロードサイド店からも見放されたような、ホントに農家がポツポツと住んでるだけっつう感じの場所なわけです。
で、そういう風な土地に、たまにポツンと二階建てで四部屋くらいしかない小さなアパートなんかがあったりします。
思うのは、そういうアパートに住んでる人ってどんな生活してるんだろうなあ…ってことなのですが、周りには腐るほど広い土地と、池なんかあるようなでかい家にすんでる人ばっかりなのに、自分は六畳ぐらいのアパートに住んでるっていうのは、どういう気持ちなのかな…
いや、それはふつうの市街地とか都市部にだって同じ様なことは在ります。すぐ隣が地主の家で、自分はスーパーの二階のアパートで賃貸みたいなこととか。しかしそういうところでは、自分以外の大勢も狭いアパートのなかに住んでるという認識がありますし、別に住むところだけじゃなく、嫌な気持ちを紛らわす何がしかが手に入りやすいわけです。
実際僕も地方で六畳一間のアパート暮らしなわけですが、腐っても県庁所在地にすんでますので、そういうところよりはマシな状況なわけです。例えば本なんかは、一番でかい店でもブックファーストとかリブロより品揃えが死ぬほど悪いのですが、それでも文庫や新書くらいならそれなりのものが手に入ります。それで足りなければアマゾンさんが使えますし。いくらアニメが見れねーとか雑誌が発売日に本屋にならばねーとか文句言ってても、ネット環境が整っているのである程度カバー出来てるんですよね。
そう、ネット環境が整ってるのって、結構自分の救いになってるなあと思うのですよ。光ファイバーでネットに接続出来ることの素晴らしさを改めて認識しますね。今更ですが。エロゲとかで癒されてるのとはまた別に、喪板とか夏の葬列を見てあうあうとか言ってられたりするだけで、結構荒んだ心がもうちょっと荒みつつも落ち着くというか。まあ自分以外の喪男と共感して落ち着くっつうところなんでしょうな。エロゲにしたって、ネットである程度情報を集めて買うってケースが殆どですし、見慣れたサイトさんなんかが自分の気に入ったエロゲについて熱く語ってるのを見たりすると、「そうなんだよ、そうなんだよなあ〜」とかなんとか思ったりしますしね。まあそれ以外にも色々勉強になることも多かったりしますしね。
そんな風に、ある程度の地域格差もネットが埋めている部分というのがあると思うのですが、いまだにナローバンドな地域というのも実は結構ありますし、そもそもネットとか全然しないという人も、ある程度の年代から上の人なら意外に結構な数がいると思うのです。
そういう人で、上述のような周囲になんもないアパートに住んでたりするような人、それでいて喪男だったりする場合…例えて言うなら、「田舎に住んでるので白木屋で心落ち着かせることも出来ず、おまけに人間関係が第一巻から先に進めない最強伝説黒沢の黒沢」みたいな人が居るのではないのだろうかと…
えー、前振りがだいぶ長くなりましたが、そんな風に、人間関係だけでなく、情報や消費環境など、様々なものから切り離された状況にいる、居るしかないような人は、どこで救われているのか、ということなのですよ。そういう人が、もしかしたら一番しんどい思いをしている人で、喪板とかに繋がってる人は、まだ救われているのではないかなと思うのです。
この間しろはたとかでもヘンリー・ダーガーの話が出てましたが、ダーガーの住んでたシカゴはアメリカでも有数の大都市で、そうだったからこそ、ダーガーもあんな絵を描いて救われることが出来たのではないか…これがエド・ゲインの故郷みたいな場所*1だったら、そもそも絵の具からして手に入ったかどうか。そうしたら彼は、何に救いを求めたんだろう。
長くなったんでちょいと分けましょうか。

*1:ウィスコンシン州プレインフィールドは、「一時間半車を飛ばさないとレンタルビデオも借りられない、文化的刺激などという言葉は存在しない生活」で「自分の半径百メートルより外で起きていることは何も分からない暮らし」(柳下毅一郎「殺人マニア宣言」より)の場所だそうな。