物欲番長(鈴木央 著)

ということでまたまたご無沙汰。
昨日ようやっと、ここ一年と半年ちょっとくらい時間や思考を奪ってくれちゃっていた色々な案件が全て片付いたので、今は新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーにスッゲー爽やかな気分なわけです。
でまたこのクソ寒い雪まみれの中、やたら文章のテンションが高いのは僕自身のテンションが高いせいでもあるんですが、最近スタパ斉藤の本を買ってしまったばっかりに分かりやすく影響受けているのですねこれが。

人間「ようやく仕事終わりそう!」とか「すげえ暇!」と言う状態になると、金も無いのに物欲だけは募ってきまして、デザイナーでもないのにadobeのサイトをみながら「うーんcreative suiteのdesign standard欲しいなあ…でもメッチャ高いし、使い道はあってもわざわざ買うほど必要では無いような…うーん…」と逡巡しておりました。
ふにゃふにゃと悩みながら結局買ってないのですが、なんかこの買い物直前に付きまとう悩み苦しみ優柔不断ぶりを緩和できんかと思い、たまたま目に付いたスタパ本を買ってしまったわけなのです。
でまあ読んでみたら凄いですよこの本は!なんと170ページくらいある文章のうちの170ページくらいが、ひたすら自分の物欲に対する言い訳なのです!


なんていうかぁ〜、ただ欲しいからって物欲に身をまかせちゃうとぉ〜、ムダに浪費して生活苦しくなるとかのデメリットっていうかダメダメな点があるしぃ〜、所詮消費社会のなかで大規模資本に踊らされてるだけっていうかぁ〜、でもやっぱり欲しいもんは欲しいしぃ〜っていうか欲しい欲しいんだよ結局詰まりなんと言ってもマジ欲しいんだっていやホント欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいっていうか欲しいし欲しいもんは欲しいンだヨォーーーッ!


っていう文章が、割と誇張抜きにこんな感じで170ページ続いてるんですわ。うーん凄い。
とはいえ全編こんな無茶な駄々こねてるだけでなく、「でもやっぱり欲しいものは買ったほうが自分にとって良いんだよ!」という主張を、著者の実体験を挙げながら説明していくことで、「もしかしてそうかも」と思わせる説得力を生み出しているんですな。
「人間何時死ぬかわかんないんだし、お金は使うことで価値を発揮するのだから、自分が欲しいと思ったものは買ったほうが良い」という著者の主張は刹那的な部分もあるんですが、「でもこれが一番楽しいんだよーんヒャッホーイ!」という気持ちがビンビン伝わる、読んでて楽しい文章に変換されることで、「あんま小難しい打算で考えんほうが良いかも」という気持ちにこっちもさせられます。
ただそこでスタパさんが素敵だなあと思うのは、そんな物欲奨励文の中にも、「でもやっぱり自分の分を超えた買い物はしちゃダメよね」「でも下手すると借金→破産→樹海みたいになっちゃうから注意よね」つうニュアンスの韜晦というか、照れみたいなんがそこかしこに挿入されてることです。
こういう部分があることで、単にあの手この手で物欲を煽ってるだけの文章じゃなくて、スタパさん自身も悩みながら買ってることや、それでも幸せそうな感じが伝わってきて、気合の入った文体に反してほんわかした気持ちで読み進められるようになってます。
ということでcreative suiteは買うかどうかまだ分かりませんが、人がオタクである限り物欲の種は尽きないので、スタパさんの話を心に留めつつ精進していきたいと思います。


それにしてもこれ出版されたのが2001年というと、今スタパさんは何千万円くらい「ムダ遣い」なさってるんだろうか。

すなわち、買い物においては、無駄ということはありえません。買い人にとっては、そのモノはお金と交換する価値があるのですから、最低限はモノとお金(価格)は等価です。いやむしろ、価格破壊の現在においては、"モノ>お金(価格)"という価値関係が有る場合が多いのです、ここで「そんなことはないよ〜」と思われたアナタは、買い物がヘタクソであるかお人好しであるか身をなげうってでも他者の幸福を願う本格派善人です。フツーの人は、買う価値がなさそーなモンにお金を払わないのです。ともかく、お金と交換することを納得できるから買うということを考えると、その状況における購入者本人内には"無駄"という意識はありません。いやちょっとだけある状況もありますが、しかし、その「無駄かも」という意識は購入せんとする物品の価値やっ魅力や意義など各種の要素で最終的には消去され、結局買うのです。
なので、全ての買い物は、本人にとって全然無駄ではないのです。その物品を買うことを無駄と思わないから、買う。だから、どこをどうつっついても全然無駄ではないのです。
スタパ斎藤「3000万円のムダ遣い デジタル機器買いまくり人生の軌跡」アスキー