アンパンマンができるまで その4

ドーリィちゃんは
「せっかく命をもらったんだもん、
自分が好きなことだけして、
自分のことだけ考えて、
毎日楽しく生きればいいのよ!」
といいます。
同じようにいのちの星から命をもらったアンパンマン
「僕が生まれてきたのは困っている人を助けるためだと思うよ」
と言ってみんなのために働いていることなど、
ドーリィちゃんにはとても信じられません。
やがて、ドーリィちゃんは、胸のいのちの星のほのおが小さくなっていることに気づきます。
不安になったドーリィちゃんはふと思いました。
「なにかが足りない気がするの。
私は何のために
生まれてきたんだろう」
(「それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ」パンフレットより)

人生なんて夢だけど、夢の中にも夢はある。
やなせたかし 「人生なんて夢だけど」)


やなせ先生の家系は皆、短命でした。
親類縁者はことごとくいなくなり、柳瀬夫妻には子供もいなかったので、奥様が亡くなると先生は天涯孤独の身となりました。
そんな中で先生は、故郷の香北町に美術館を、住まいのある新宿にアンパンマンショップを、それぞれ建てることにしました。

ぼくら夫婦には子供がなかった。妻は病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護婦さんや見舞い客に配っていた。アンパンマンがぼくらの子供だ。
子供に家を建ててやりたい。それが美術館とアンパンマン・ショップである。子供達によろこんでもらいたいという一心である。
やなせたかし 「アンパンマンの遺書」)

美術館は、町が乗り気になっても計画は遅々として進まず。
アンパンマンショップはもともと画廊の予定でしたが、いつの間にやらやなせたかし直営店となりました。採算度外視でつくり、子供が玩具を自由に手にとって遊べるようにしています。このアンパンマンショップは、2007年で開店13周年になります。
そして95年、やなせたかしの遺書たらん気持ちで書いた自伝「アンパンマンの遺書」を上梓します。
この本を読むと、もう何時いのち尽きても構わないというような先生の気持ちが伝わってきますが、それでも人生は続きます。


94年以降の先生は、舞台の仕事に特に精を出されるようになったようです。「知的童謡コンサート」や喜寿の祝いのイベントの総監督を率先して行い、架空結婚式などの出し物で観客を楽しませます。
同年の6月にはアンパンマンミュージアムが着工、7月オープンとなります。舞台人の血が騒ぐやなせ先生は、オープニングセレモニーのイベントで寸劇を行い、会場のホテルは大盛況。
肝心のミュージアムの方も、初日の入場者数3000人を越えるほど。とはいえど、自治体のハコ物がどんどん寂れている御時勢、普通に考えて、高知の片田舎の町に毎日大勢の人が来るわけもない。
初日の賑わいを見ながら、やなせ先生は「年間十万人は無理だろうなあ」と思っていました。
ところが予想を裏切って、開館49日目には年間目標の10万人を見事達成。96年度の決算では1億0438万円の黒字が出ました。
静かな田舎道は車で渋滞し、レストランもトイレも駐車場の不足を整備して、ギャラリー用の新作絵画を書き下ろし、果てはあふれるお客を何とかするための別館作り。難題の数々を解決してるうちに先生の人生の終わりはどんどんと先延ばしになり、気がつくと全く新しい展開へと入っていきます。


98年にはアンパンマンのテレビ放映10周年。人気は上昇、作者は老衰。
「困ったときのやなせたかし」は健在で、あっちこっちの仕事を頼まれてんてこ舞い。
医師からの忠告を聞き、軽い気持ちで健康診断を受けると「心筋梗塞一歩手前の危険状態」と言われ即座に手術。絶対安静と言われながらも、退院したらばまた仕事。
仕事をしては入院し、退院しては仕事する。そんな仕事尽くしの日々ですが、それでも舞台の企画を立てて、歌って踊るやなせ先生。
あっという間に2000年、81歳の先生は、過労がたたってまた入院。
せっかくだからこの機会にと、たくさん漫画を買い込んで、ベッドの上で読みふけります。
やなせ先生のお気に入りは浦沢直樹の「MONSTER」や三浦健太郎の「ベルセルク」。アンパンマンとは作風が90度違いますが、どこか通じてる部分があるようなないような。
切って貼っての手術を何度も繰り返してるうちに、やなせ先生の新作アニメ「ニャニがニャンだー ニャンダーかめん」が始まります。ニャンダー仮面もアンパンマンに通ずるメッセージを込めた作品でしたが、一年弱で終わります。
21世紀に入っても、やなせ先生は相変わらずのエンターテイナー。
高熱を押してミュージカルに出たり、入院先の病院からそのままライブハウスに行ってステージを披露。一方ではアンパンマンミュージアム名誉館長や、高知学園名誉学園長、日本漫画家協会会長などの公職を務め、様々な地方のご当地キャラや、企業のマスコットキャラ執筆の依頼もどんどん受けます。もちろんアンパンマンの原作作りも忘れません。まだまだやること、やりたいことは沢山あります。

人生の楽しみの中で最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、すべての文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら原則的には愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生をごまかしながら生きているんですね。
やなせたかし 「人生なんて夢だけど」)

いつも心のどこかに孤独を抱え、絶望に涙していたやなせ少年は、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を探しながら、激動の生涯を歩んできました。
「人を楽しませること」
この十年のやなせ先生は、とにかく「人々を楽しませること」にその命をつぎ込んできました。
それが先生のたどり着いた答えの一つのようです。
もう一つの大事な答えは、アンパンマンの中に描かれ続けています。


そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも
なんのために生まれて、なにをして生きるのか?
答えられないなんて、そんなのはイヤだ
今を生きることで、熱い心燃える
だから君は行くんだ微笑んで
そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも
ああアンパンマン
やさしい君は 行けみんなの夢守るため
やなせたかし 「アンパンマンのマーチ」)