おジャ魔女どれみが成長し、時をかける少女に

おとといの夜から関東に居るので、昨日ようやく「時をかける少女」を見てきました。
なんというか…たしかにこれと比べてしまうと、ゲド戦記も厳しいというか…映画館の空気からしてまず違いますしね。ゲド戦記は上映前から空気が弛緩しきってるのに、時かけは、客席から期待感がこみ上げてくるような感じがしました。
とにかくすごく面白い、良い映画でした。


で、もう各所で褒めつくされ語りつくされた感もあるので、今更僕がなにか言うほどのことも無いと思うのですが、強いてあげるなら、「おジャ魔女どれみに似てる」って感じでしょうか。
いや、別に主人公が「ピーリカピリララ」とか言うわけじゃないんですよ。
「夢の島から世界を眺めて」さんもおっしゃってますが、「どっか〜ん」の細田監督演出回で出てきた「魔女をやめた魔女」である未来さんの声が原田知世で、時かけに出てくる魔女おばさんが芳山和子で繋がってるねという話もそうですし、分かれ道=運命の分岐点の暗示という演出とか、流れる時間やそこでの生き方とか、そういうテーマも、「なんか似てるなあ」という気にさせられます。
ただそれ以上に、「時をかける少女」の主人公の紺野真琴と、「おジャ魔女どれみ」の主人公の春風どれみとが、キャラとして大分似てるんじゃないかと思いましたね…
二人とも底抜けに元気で明るくて素直で、能力があるとついつい下らない欲望(ステーキとか鉄板焼き食べたいとか)を叶えるためにつかってしまったりする部分もあるけど、他人のために一生懸命になって、自分のことに気が回らない、そういう部分とかのおかげで、ドジや邪な部分も愛嬌として受け入れられる。そういう性格が二人に共通してるんじゃないかなと思いました。どっちかっていうと、どれみのほうが恋愛に関しては積極的かもしれませんが、あれは白馬の王子様を待つのとおなじようなもんですから、「友達関係から恋愛関係になる」という話になると、どれみさんもああいう感じなんかなあと思ったりします。
考えてみれば、リアルタイムでどれみを見ていた世代の子たちは、「どっか〜ん」のときに小学6年生なら、あれからもう3年…4年?経っているから、ちょうど高校一年生くらいで、まさに「時をかける少女」で描かれている世代になるわけですね。
そうすると、ますます紺野真琴が成長した春風どれみに見えてきます。
明るく朗らかな性格を失わないまま思春期を向かえ、高校生になったら、どれみは一体どうなるのか?
それを描くという事は、あの頃どれみを見ていた子達、おジャ魔女どれみという作品からのメッセージを受け取っていた子達は、どんな青春を送るのか、今再び彼女らや彼らに何を伝えたいのか、ということを描くことと同じだと思います。
だから、やっぱりこの作品は、今高校生や中学生くらいの子達が見るものなんだなと思います。
いや、そこまで細田監督がどれみとか考えて作ったかどうかわかりませんが。たぶん、作ってみたらそんな風に見られてしまっただけなんでしょうけど。



これを見て、「耳をすませば」と同じように
ああ、なんで俺の青春はこんなスカっとさわやかじゃねーんだよう('A`)
となる子も大勢居るでしょうが、そういう彼等は…ああ、案外、彼らにこそゲド戦記がいいかもしれない。