親は関係ねぇだろ親は!(育児的な意味で)

子どもは本来、親を尊敬し、親をモデルしてに成長する。
(「鏡の法則http://www.arai516.com/blog/2006/07/post_e7bc.htmlより )

親の務めは高く評価されすぎてきた。親は実際以上に子どもの性格に影響を及ぼしていると思い込まされてきた。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)


鏡の法則」とかそれと関係した話なんかを読んでますと、子ども…というよりは人間の人格形成においては、親の躾というものが重要なのだいう理解がされてるような気がしないでもない。
いや、もちろん鏡の法則の一番の問題点というのはそこではなくて、むしろ自己啓発セミナー的なナニなんですが。
それでも「親と子の関係は人間の人格に大きく影響する」っつう理解が根底にあるからこそ、あの話が受ける人にはサックリ受けてしまっているのではないかなと。


しかしですね、今回言いたいことはですね親は子どもがどういう大人に育つかということについて、あまり大きな影響を及ぼすことはないですし、そんなことを気にせんと、子どもにはただ萌えていれば良いっつうことですよ。


「人間の人格形成には遺伝子も環境も重要だが、親は重要ではない」っつうことを言ったのがジュディス・リッチ・ハリス女史。

子育ての大誤解―子どもの性格を決定するものは何か

子育ての大誤解―子どもの性格を決定するものは何か

子どもの…というか人間の性格(人格)を構成する要素は生得的な要素、つまり遺伝と、環境的な要素の二つがある。
気性が激しかったり、泣き虫だったり、ひねくれものだったり生真面目だったり、果てはモテるか喪男かというのは、多くが親から受け継いだ遺伝子によるもの*1で、親にそう育てられたからではないのです。親と一緒に育つ以上、人格に対する影響が遺伝子と環境のどちらによるものなのかは判別つかないのですが、養子の研究や双子の研究なんかから、これは遺伝子によるものが大きいとわかるわけです。
そして残りの半分を説明するのが環境です。
では、その環境とはなにか?これこそが、親の躾だ、育児観だの、価値観を押し付けてないか、とはいえど行動を適切に律しているか、また片親か、再婚か、一人っ子か、さらには出生順位はどうか、兄弟と対等に愛情を注いでいるか、あるいは…というような家庭環境なども含んだ上での「親の育て方」によるものなんでないのか?というのが多くの人の考えるところなんですが。*2
そうではなく、ここでいう「環境」とは「子どもの仲間集団」のことを言います。
ハリスは「集団社会化説」というものを唱えておりまして、大体思春期くらいまでの間の家庭外での交友関係…といっても、数名以上の仲間集団での交友関係、例えば学校の一クラスとか、学年とか、クラブなどの中での関係であって一対一の友情関係ではありませんが、とにかくそこでのあり方が子どもの人格に大きな影響を与えるわけです。大人を参考にするのではありません。大概の子どもの目的は、良い大人になることでなく、良い子どもになることです。
そこではどんな仲間と付き合うか、仲間内でどのような地位をしめるか、というのが重要なのです。

一般的にいう自尊心、つまり広い範囲で高まりを持続するものは、子ども時代の所属集団での地位によってもたらされるものだ。……仲間集団での地位の低さは、それが長期に及ぶと痕跡が性格に刻まれて、一生消えないものとなる。そしてもちろん子どもの子ども時代を台無しにしてしまう。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

俗にいう「スクールカースト」というヤツですかね。ここでどういう位置を確保できるかは偶然(とあと容姿とか)にかかってるだろう、とハリスは書いてます。

親は子どもたちが仲間集団において好ましくない役回りを押し付けられることを防ぐことはできない。しかしながら、それをわずかでも起こしにくくすることは可能だ。親は子どもの外見を変えることは出来る。子どもを可能なかぎり普通に、そして魅力的にみせることを心がけよう。外見はあなどれない。……顔に深刻な問題がある場合には美容整形も有効だ。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

ただ、この「仲間」というヤツにも色々ありまして、大体仲間集団の傾向というのはその地域ごとに異なる…地域のサブカルチャーを反映しているものですから、DQNの多い地域で育った子はDQNになりやすく、逆にマジメな子の多い地域では割かし子どももマジメになりやすいわけです。
というようなことをまとめますと、次のようになります。

子ども時代および思春期の仲間集団での経験は、子どもたちの性格に変化を与えるが、彼らはその変化を成人になっても持ち続けることになる。集団社会化説は次のように考える。仮に家庭とは別の世界――すなわち学校や近隣社会――はそのままにして親の配置をすべて入れ替えても、子どもたちは同じような大人になる。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

とは言っても、名門学校に子どもを入れればその子は確実に良い子になるかっつうとそうではない。その学校が偏差値だけ高くても影で援助交際しまくりみたいな子が周りに多ければ、それに適応した娘さんもDQNになるかも知れません。*3また特にそうした荒廃のない学校・大人しく非行に走らない子が多いような学校でも、クラスの中で好ましい地位が得られるかは分かりません。子の顔と親の学生時代を振り返ってみれば大体どうなるかの予想くらいは立ちますが、それも定かではないですしね。ただ、それを考慮に入れても、明らかにDQNが多い場所に子どもを放り込むよりかは、子どもはDQNになる可能性が低いでしょう。
なんにせよ、親が子どもの人格に対して遺伝子以外の影響を与えうるとすれば、それはどこに住むかを決定することなのです。足立区で育てば竜の刺繍の入ったパーカーを着るようになる子も、中野区で育てば「萌え」とかのロゴのはいった色物シャツを好むオタクになるかも知れないのです。…まあそこまで極端にはならないでしょうけど。


とにかく、育児スタイルがどうでも、それで子どもの性格が歪んで犯罪者になるとかはないのです。まあ詳しくは本を読んでもらうなりなんなりするとして、この集団社会化説からはこんなことがいえます。

集団社会化説では、家庭環境がいかに悪くても、次の条件が満たされていれば子ども達は正常な大人になれると考える。親のいかなる異常な特徴も遺伝的に受け継がなかったこと(この真偽を確かめるためには養子もしくは義理の子どもたちを被験者にする必要性がある)。怠慢や虐待によって脳に損傷が加えられていないこと。仲間と正常な関係をきづいていること。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

だから子どもに一生懸命愛情を注いで、細心の注意を払った子育てをすれば、必ず良い子に育つ、とかいうのは嘘なわけです。
裏返せば、ある人の性格や行動が悪いからといって、それを遺伝以上には親のせいに出来ないのです。
また同時に、その人が悪いことをする人なのは、その子が社会化した仲間集団のある地域や、マスメディアなどから社会化の対象とされてしまう文化の荒廃*4が背景としてあるわけなので、そういう意味で「社会が悪い」とも言えるのです。
この辺はピンカー先生が上手くまとめてくれています。

(ハリスの説明は、親の責任逃れにすぎないという反論に対し)…しかしハリスは、同じ理由から、おとなに自分の人生についての責任をとらせている――人生が上手くいってなくても、何もかも親のせいだと愚痴をいうのはやめなさい。また、子どもにふりかかる不運を全て母親のせいにする浅はかな諸説や、家を抜け出して仕事に行ったり、『おやすみなさいおつきさま』を読むのを一回さぼったりした母親に自分を鬼のように感じさせる、口うるさい物知り顔の人間達から母親を救い出してくれる。そしてハリスの説は、仲間集団が組み込まれている近隣地域や文化の健全さに対する共同責任を、私達みんなにもたせる。
スティーブン・ピンカー 「人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)」)

私達の思い通りに子どもを育て上げることができるという考えは幻想にすぎない。あきらめるべきだ。子どもとは親が夢を描くための真っ白なキャンバスではない。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)


親がどう育児をしようと、子どもの人格を良くすることも悪くすることも出来ない。
じゃあ子どもに愛情を注がなくてもいいのか?親は子になんの影響も及ぼさないのか?というと、親は子の人格に大きな影響を及ぼすことは出来ませんが、子の人生には当然影響を与えます。
例えば一番大きなところでは言語です。親が家庭で使う≒教える言語と、子どもが家庭外で使う言語が同じなら、いちいち他の言語を覚える必要が無いのです。
経済力。これが低ければ悪い仲間集団が出来やすい地域に住むことになり、引っ越すことも出来なくなれば、その子の人格形成に影響を与えます。
また職業なんかは親の影響を受けるものも多いです。政治家や医者、あるいは職人などの2世3世はよくある話です。音楽好きな親の子どもは音楽好きになりやすいです。
そういった物事のチャンスを与えられるかどうかは親次第なのです。
何より、たとえ子どもに対し親がいかなる影響を及ぼすことが出来なかろうとも、子どもに対する態度は子どもとの関係の質に影響を及ぼすということ。

上手く社会生活を送っているが、子どものときに親から受けた残酷な仕打ちについて話をすると、いまだに怒りで実が震えるという人たちがいる。かと思えば、一人でいる時間に、母親や父親が自分のしあわせのためにしてくれたやさしい行為や自己犠牲、多分本人達はとっくに忘れているそのような出来事を思い出してしんみりする人たちもいる。子どもがそのような思い出をもって成長できるようにという理由からだけでも、親は子どもにいい接し方をすべきである。
スティーブン・ピンカー 「人間の本性を考える〜心は「空白の石版」か (下)」)

これをグラップラー刃牙風に言い換えるとこういうことです。

もっと純粋に子育てを・・・楽しめ!!!

…というのが、ハリスが本のなかで書いてることですよ、と。
あー長かった。
ンマーこれが鏡の法則にどう関係あんだっつうと、確かに直接的には関係ないんですが、ただ「親の悩みの解決が子どもの問題の解決につながるということはない」つう認識があれば、あの手の話にも一々引っかからんですむかなと思います。


とにかくですね、一番重要なのは子どもに対する愛情と子どもがどう育つかは関係ないとういうことですよ。子どもが良く育つから愛情を与える、というのは、半ば打算にもとづいたものですから、金があるからホリエモンが好きとか、顔がいいからイケメンが好きとかそういう話と同レベルなわけですよ。
自分の子がどう育とうと、ただ愛でていれば良いんですよ。
特に親の子に対する愛情なんてのは、恋愛などにおける他人への愛情と違って、顔が良いからとか、金をくれるからとか、そういう他のものでも代用が利くような性質でもって愛するわけでない…ただ娘だから息子だから愛するという、「うちの子だから」以上には還元できない、代用の利かない性質でもって愛するのですから、これは特に真実の愛に近いものなわけです。
いっちゃえば、一番純粋な形での「萌え」が、この「息子/娘萌え」なんじゃないでしょうか。
例えば反抗期の子どもも言っちゃえばツンデレなわけじゃないですか。弟や妹が出来たら、周囲の関心を引きたくて悪戯しちゃう兄や姉とか、これはまさにツンデレですよ。子ども萌えは反抗期が有る以上、ツンデレ萌えも内包してるんですよ。そのうち誰かとくっついて出て行っちゃう以上、寝取られ萌えも内包してますよ。喪男や喪女に育っても、「喪萌え」というのはありますよ。*5どっちにしても、うちらの業界には御褒美ですよ。
世の親は、もっと素直に子どもに萌えるべきですよ。
親が素直に子どもに「萌え」といわないから、「私は父(母)に愛されなかったんだ。うらみますうらみますあんたのこと死ぬまでうらみます」とかいわれるわけですよ。
ローゼンメイデンのみっちゃんくらい大胆に愛情をあらわせば、子どもは「親は自分を愛していない」なーんて気持ちにならずにすむわけですよ。その気持ちが後々の人格に影響を与えなくてもね。

…つまり「家族に萌える」という行為自体が、現代では「気持ちの悪い」行為なのである。だが、本来、家族というものはそういう関係であるべきだという理想があったはずなのではないだろうか?
もし現実の家族が多少なりともお互いに「家族萌え」の精神を持つことができれば、家族の崩壊・解体という現象に歯止めがかけられるはずなのだ。もちろん現実の家族が家族萌えを通り越して恋愛関係や性関係に陥ってしまうとさまざまな問題が発生するが、「萌える」というレベルの関係に留まっていさえすれば、その関係は両者にとって自我の安定をもたらしてくれる非常に有効な関係となるはずなのだ。
本田透 「萌える男」)

子どもが愛しいなら、子どもが右往左往する様をただ愛でましょう。もしかしたら子どもと幸せな関係を築くことが出来るかもしれません。
それ以上の…望ましい性格になるからとか、立派な人間になるからとか…そういう理由が、子どもと一緒に時を過ごすのに果たして必要でしょうか?

育児アドバイザーの言葉に気をもむことはない。子どもには愛情が必要だからと子どもを愛するのではなくて、いとおしいから愛するのだ。彼らとともに過ごせることを楽しもう。自分が教えられることを教えてあげればいいのだ。気を楽にもって。彼らがどう育つかは、あなたの育て方を反映したものではない。彼らを完璧な人間に育て上げることも出来なければ、堕落させることもできない。それはあなたが決めることではない。子ども達は「明日の館」に住んでいるのだから。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

*1:人格以外の人間関係において重要なものもそうだったりしますよ。例えば顔とか。byホリエモン

*2:参考URL:http://baby.goo.ne.jp/member/ikuji/shitsuke/16/

*3:で、そういう「仲間集団の空気」みたいなのをつくるのが、地域の健全さや、電波男で言うようなマスメディアのプロパガンダなわけです。マスメディアのほうについても語ると長くなるんでまた別に。

*4:少女マンガで過激すぎる性描写や幼い頃からのセックスを煽るのが良くないのは、それを少女達が適応すべき対象と見なして仲間集団の文化として取り込んでしまうかも知れないためなのです。ただ、逆にそういう気質を持った子だからそういう雑誌に惹かれるちゅのもあるんで、相互作用ではあるのですが。

*5:今適当にでっちあげたけど