お目出たき喪男-武者小路実篤の世界-

腐女子本買わなきゃなーとか思ってるうちに古本屋に寄ったら、岩波文庫の「お目出たき人」という武者小路実篤の本があったので買ってみたのですが…
これは凄い喪男小説だ!オラワクワクしてきたぞ!('A`)
この小説、確か何時だったかしろはたでも紹介されてましたね。あの時から気になってはいたのですが、いざ読んでみると喪スカウターが爆発しそうです。
なにせ一ページ目からかっ飛ばしてます。

自分は女に餓えている。
まことに自分は女に餓えている。残念ながら美しい女、若い女に餓えている。七年前に自分の19歳のとき恋していた月子さんが故郷に帰った以後、若い美しい女と話した事すらない自分が、女に餓えている。

(中略)
日比谷をぬける時、若い夫婦の楽しさうに話しているのにあった。自分は心私(ひそ)かに彼等の幸福を祝するよりも羨ましく思った。羨ましく思うよりも呪った。その気持は貧者が富者に対する気持と同じではないかと思った。淋しい自分の心の調べの華なる調子で乱されるときに、その乱しものを呪わないではいられない。彼等は自分の淋しさを目の当たりに知らせる。痛切に感じさせる。自分の失恋の古傷をいためる。
自分は彼等を祝福しようと思う、しかし目前に見るときややもすると呪いたくなる。
自分は女に餓えているのだ。
(後略)
(「お目出たき人」 武者小路実篤 岩波文庫

これが冒頭…なんというか、冒頭だけみるともぐら先生の日記を読んでるような錯覚に陥りますが、こんなものは序の口で、これからとんでもない喪男っぷりが度60ページ近く怒涛のように続きます。

この小説のあらすじですが…まず主人公(これは自伝的小説なので、主人公は実篤自身)は、一度も話したことのない女学生に対し長年にわたる片思いを募らせる喪男。相手の女性と一度も話をしたことがないうちから「自分の妻にふさわしいのはこの人しか居ない!この人が幸せになるには俺と結婚するしかない!というか、向こうも俺のことが好きなはずだ!」とか何とか妄想しはじめて、さらには求婚までするが…というお話。

なんだか読んでるうちに、昔の自分のことが小説にされたような錯覚を覚えて仕方なかった。('A`)
いやー白樺派ってこんな面白かったんですね。('A`)

面白いのはこの主人公、恋する相手とは実際一度も喋ってないのです。
作中でも会話らしい会話は一度もなく、一応話したっぽいシーンもあるのですが、なんかこれもただの妄想っぽいかんじで…
実際相手のことなんもわかっとらんやろ…というか相手からしてみたら、気がつくと付きまとってきたキモイストーカー以外の何者でもない状態なのですが、それでも主人公は自分に都合のいい妄想ばっかりしてるので、そういうところには目がいかない、変なポジティブシンキングがあるのです。
相手が俺の求婚にうんと言わないのは、あくまで俺に心のそこでは惚れてるんだけど、厳格な両親のせいでその気持ちを表にだせないからなんだようん。とか妄想して一人で納得してるわけです。
というか、主人公がこのお話で恋してるのは実際の鶴という名のその少女でなく、主人公の脳内萌えキャラのツルちゃんなんですわ。
主人公はこの萌えキャラに萌えて萌えてしょうがない。「いつか夫婦になったときにはこういう風な小言でもいってやろう。そうしたら向こうはこう返してきて…」とかなんとか、なったわけでもない夫婦生活や、そのなかで起きる困難の事を想像して、それに見事打ち勝ってみせる!と、それ以前の段階で結婚できてないのにそういうことばっかり気になって妄想してるわけです。
実際会話したこともない相手の妄想を膨らませていって、その萌えキャラと結婚したいと思うようになってしまったんですね…
ここで萌えキャラが完全に2次元の存在だったり、あるいは3次元でも到底手の届かないような立場の相手だったら、どうせ結婚なんかできないので問題ないのですが、残念ながら主人公の萌えキャラはすぐ近所に住んでいる女学生だったので、「もしかしたら手が届く」という感覚があり、それが彼の喪体験へと繋がっていくのですが…

さて、そこで主人公はあるとき、DQNちっくな友人と対話する機会があるんですが、そのときの会話がまさに喪('A`)
ちょっと長くなりますが引用しますと…

その日も何か話しているうちに道楽についての議論になった。
友は冷笑するように
「今になってもまだ、道楽はわるいものと思っているのかい。開けないね」
「道楽する人には自分は同情するが」
「浦山しくも思うのだろう」
「そうかもしれない。しかし同情もするよ。より所のない女に餓えている男が、慰みの手段として、快楽を得る手段としえ、女郎買いに行ったりするのは無理もないさ。しかしいいこととは思えないね。第一ああ云う不自然なもの、金によって操の切り売りする女があるので、女の価値がわからなくなるし、男女交際の必要はなくなるし、女の興味品性は下劣になるし、何しろ道楽者には都合が良いだろうが、女にとってはたまらないと思うね
(中略)
「(道楽の害について)しっているさ、しかしそう害はないよ。世の中は道学者の重うとおりには行かない。道楽者が栄え、放蕩しないものが神経衰弱になることなぞはよくあることだ。勿論道楽もしようによっては滅亡するさ。しかしそう云う奴は滅亡していい奴なのだ。滅亡するほど夢中になれたことを感謝して瞑すべき奴だ
僕の云う道楽の害はそういう目に見える害をいうのじゃない。もっと有益につかえるエネルギーや、時間やや、金を空費することをいうのだ。趣味のすさぶことをいうのだ。遊べないときの苦痛をいうのだ。芸者を恋する時の不安をいうのだ。家庭の平和のやぶれることをいうのだ。」
「なーに君、放蕩者はもっと甘く放蕩するよ。ただ酒飲んだり、女と騒いだり、すればいいのだからね。個人を相手にするのじゃなくて快楽を相手にするのさ」
(中略)
しかし細君が可哀そうだね
細君を持たなければいいさ。しかしうまくやれば、細君に可哀そうなことはないよ。女は放蕩者の方を君のような同学者より歓迎するものさ。第一面白いもの、君のようなさばけない男は女には嫌われるにきまっている。女はバカだから自分を尊敬して愛しているような男は女々しい奴だと思ってしまう。道楽しないような男はつぶしのきかない、偏屈な男と決めてしまう。君が女に恋されようと思ったら、プラトニックな考をすてなければいけない。何でも露骨にゆくに限る、そうして気に入るようなことをどんどん云えばいいのだ。女はこの耳から入るものを信じるからね。女はよくうそつくくせに他人にうそつかれ易い動物だからね。まず女の肉体を占領せよ、女の精神はその内にあり、と言うのが女を得る秘訣さ。君のような人間は一生女から恋されることはないね。地球が太陽の周りを回っているように、恋人の周りを回っているより仕方がないね
(中略)
「しかし僕だって道楽をしたくないことはない。自分は女に餓えている。華な快楽に憧れている」と云いたくなる。
「そうだろう。しかし面白いことばかりじゃないよ」と友は笑った。
「そうだろうね。僕もそれが怖いのだ。さもなければ例の人がいなかったら遊んでいるかも知れない。そうしてひどいめに逢ったろう。今逢っている時分かも知れない」

この友人のセリフが、まんま今のイケメンやらDQNやらの理屈で、本当に100年前からなんも事態は進展してないというか、むしろ悪化してると言うか、もしかしたらこれは本当にどうしようもない事のような気がしてきました。(;´Д`)

つくづく思うのですが、喪というのは社会が生み出したものであるというのは、一面では事実なのですが…それは、何時の時代のすべての社会においても、普遍的に存在するものなんでないかなと。差別者と被差別者の構造がどうこうとは別に、女とよろしくやってるDQNやイケメンに対して過剰に硬派ぶったり喪になったりと、反応のあり方としては時代により千差万別ですが、モテ対喪という構造を、生み出してしまう(特に戦争が無い・少ないような状況下において)というのは、人間に普遍的に備わってる性質なのではないかなと思いますね…('A`)
葉隠」で山本常朝も、「最近はジャニタレみたいな、女風のチャラチャラしたイケメンDQNが女とあんな〜こと〜こんな〜こと〜してるから困る。男なら三船敏郎やろが!ド━(゚Д゚)━ ン !!!」みたいな事いって切れてました。いや三船敏郎は言ってませんが。

でまあこの小説では、主人公の果敢なアタック(主に人任せとストーキング)の結果、相手は主人公でなく、いきなり出てきた工学者の人と結婚してしまうことになりました。('A`)
涙に明け暮れる主人公。
しかし、段々心が落ち着いてくると、「いや、本当は俺に恋していたのだが、父や母の勧めで仕方なしに人妻になったのだ。根拠は何も無いが。ああ、なんて可哀そうな鶴なんだ!もし口では『あんたなんか知りませんよ』と言ったとしても、それはあくまで口先だけで、本心は違うのだろう!」とかなんとか、まあお目出たいことばっかり云って終わるわけです。懲りないですね。だからタイトルが『お目出たい人』となるのです('A`)

しかもこの文庫には、「世間知らず」という題の作品も収められているのですが…これが『モテも魔の手』という奴について描かれたものなようなのですな、どうも。まだ読み途中なんですが…
まず、イキナリなんかよくわかんない女からメールが来るのですが、これが「あたしってみんなから変わってるねって言われるんですぅ〜」とか平気で言っちゃうようなちょっと電波な人でして、「面白い、電波女恐るるに足らず!」と意気込んだ主人公…というか武者小路先生はその女に合ったりメル友になったりしてる内にすっかり電波女の術中にはまってしまい…という、滝本竜彦@100年前というような内容で、すごいです、凄すぎます。
これまで武者小路先生の著作というと「友情」とか野菜の絵くらいしか知らなかったのですが…いやいや、不勉強でした。今後は白樺派から目が離せなさそうです。