「恋愛の不可能性について」読解(1)

名前は、性質の記述には還元できない。名前は、ただ端的に、個体を指し示しているのであって、その個体の性質について何事も含意してはいないのである。このことはレーナを愛する理由が、レーナについての性質に還元しえないのと似ている。その還元不可能性は、名前の記述への還元不可能性と同じ事情に由来するのである。
(「恋愛の不可能性について」 大澤真幸


大澤真幸の「恋愛の不可能性について」を読んだ…といっても一章だけだけれど。
だって難しいんですもんよこの本。(;´Д`)
自分、おつむりてんてんな人なんで、序章と一章目だけ読み終わるのに一週間もかかった(;´Д`)百ページもないんですけどねえ(;´Д`)
言ってることは面白いんですよ。けど…現代思想の人たちとかは、もうちょっとこう、手心というか…小難しい言い方を避けていただけると読みやすくてありがたいのですが…いやまあお前が頭悪いだけじゃいと言われればそれまでなんですがねええ。(;´Д`)
大澤真幸はこれが初めてなのですが、どれもこんな感じなのかな…「サルでもわかる大澤真幸」とかないですかねー。

で、まあアホなことはおいといて、今日は本の紹介というか、自分なりに噛み砕いた内容を書こうかなと思うのですが、なにぶん内容が重いし、僕の書く時間が少なくなりがちなんで、ちょいと小出しにして紹介したいと思います。

さてこの本は、引用文を見れば容易に想像つくだろうが、よくある恋愛本とは当然違うし、電波男みたいなのともちょっと違う。むしろ恋愛がどうこうというより、「言語論」の視点から「コミュニケーション論」について書かれたものである。

著者は序章である「これは愛じゃない」においてまず、真実の愛における自己否定の構造について簡単に説明した。
それは、誰かを愛するという理由に、ある還元できる性質をあげるなら、それは真実の愛ではない。なぜならそれはその性質に対しての愛であり、愛する人がその人でなければならない唯一性にはならないからだ。
たとえば、「水銀燈萌える!(*´д`*)パッション!! 」といってる人に「なんで銀ちゃんが好きなのん?」と聞くとしよう。そこでその人が「あの球体間接は好きだし、銀髪ロングで赤目のツンデレキャラってところで崇高さを感じるし、一方ではよわよわのへぼへぼでベリナイス。さらに責められて好し、かつ責めても好しというSM隙なし状態が素晴らしい。しゃべり方で言うなら、あのちょっと語尾伸ばす低血圧的なところがたまらん。ほかにも…」と、銀様の巣晴らしいところを上げていったとしよう。
しかし、それでは彼が素晴らしいと思う水銀燈の諸性質を上げつくしてみても、「水銀燈を好きな理由」にはならないのだ。水銀燈を愛することは、球体間接を愛することでも、ロングの銀髪を愛することでもない。ツンデレや、サドなキャラなら誰でも良いなら、ほかにもそういうキャラは死ぬほどいる。
それらの性質をどれだけ積み重ねても、それは水銀燈そのものについて説明したことにはならない。
ということは、水銀燈を愛しているというときには、そうした彼女についての情報は、実は愛とは無関係なのだ。

われわれは愛する相手を一人選ぶ。確かにここで選択の作用が働いているのである。だが、誰かが、彼または彼女の恋愛相手を、ほかの何人もの候補者と比較して、慎重に選択しているとすれば、われわれは、「これは愛じゃない」という印象をもつ。
(同上)

これは以前「電波男読解」のエントリでも書いたことと似てる。
ようするに、金持ちの男が好きとか、巨乳の女が好きというのは、単純に性質に対する愛で、「なになにさん」その人そのものを好きなわけではないのだ。
そして、《「なになにさん」その人そのもの》というのも、性質の列挙で言い表せない以上、言葉で言い表すことは出来ない。
水銀燈そのものについて説明してください」といわれても、ローゼンメイデンのキャラでえ、第一ドールでえ、みたいにしかいえない。これは「水銀燈の持つ性質」の列挙だから、やっぱり「水銀燈そのもの」についての説明ではない。ジャンクだろうがおばかさぁんだろうが水銀燈水銀燈だし、水銀燈というのは人形とも闇を纏わされ逆十時を標された薔薇乙女最凶のドールであるとも説明できないのだ。
そのため、、他人を愛しているというときには、こうした列挙される性質によって相手に関係しているのではなく、
「ワシはとにかく銀ちゃんが好きじゃあー!ヽ(`Д´)ノボッキアゲ」
というだけの関係になる。
でもこれは、結局「なんでその人のことが好きになって、他のひとじゃだめだったの?」という疑問に答えられていない。しかし、答えようとしてもそれは言葉には表せられない。
これが真実の愛における自己否定の構造である。

そうであるとすれば、人が誰かと恋に落ちるということは、どんな場合であれ、訳がわからない理由によって、つまり相手が何者であるかということには無関係に、その相手が離れられないものになるということではないか。
(同上)

ちょっと今日は時間がないのでここまで。続きはまた明日…
…あ、明日はロフトプラスワンに「失恋論」のやつを見に行くんだった('A`)
まあ、明後日か、明々後日か。