魁!電波男―やおいとコミュニケーション不全症候群―

久しぶりにまじめな文体で書いてみませう。つってもそんな長くはないけど。おまけに眠いんで酷い文章になるかもわからんね。
さて、中島梓の「コミュニケーション不全症候群」を読んだ。この本自体は91年と、かれこれ15年も前に書かれたものだが、内容自体は本当に今読んでも遜色ないもので、電波男に通ずる内容なので、電波男読者には読むことをお勧めする。
電波男と言う本は、自我の保証者を騙る現代社会の支配的思想を「恋愛資本主義」と看破し、それに対し適応出来ない・なのでしない個体である喪男は、オタクとなって支配思想に対して極めて後ろ向きな反抗態度をとることで革命を起こそうとする存在なのだと解いた、構造主義的な視点の本である。ここまでが電波男の復習。
さて、この本も同じように社会の支配思想に対する適応不能・または適応過剰が原因となっておこる悲劇について書かれたものである。オタクについても書いてあるが、これはまあ「萌え」が出て来る前のオタクの話で、本田透の世代かそれより少し上の世代について述べているものだから、昨今の状況にぴったりと当てはまるものではないが、そこそこに今に通ずる分析があり興味深い。これによれば、オタクの持ち運ぶ大量のオタグッズや、外見やライフスタイルそのものは、アイデンティティを保護するための殻なのだという。これはDQNが車に乗ることを他の人種よりも好むことと同じなのである。車はDQNにとっての自我の外殻であり、車中においては彼の自我は他者に脅かされずにすむのだ。ここからまたオタクとDQNの類似性みたいなものを考察することも出来る。ここではしないが。気が向いたらそのうちするかも知れないが、DQNとオタクは表裏一体なのかしらということも考えたりするので、興味のある人はウロンちゃんのところでもみて自分で妄想膨らましていただきたい。
さて、コミュニケーション不全症候群において電波男よりも特に深く考察されているのは、なんと言ってもヤオイ(当時ではJUNEとよんでいるが)や拒食症まで加熱するダイエットなど、女性のオタク関係についての考察である。ダイエットは別にオタク女性でなくてもするが、本質的な病原は同一のものなのである。
それは男性のオタクが「恋愛資本主義なんてやってられないから、オタクになってタマ姉に萌えるにょ」という方法で難を逃れるのに対して、女性は「恋愛資本主義に同調できないけど何とか同調しなきゃいけないから痩せなきゃ。あら気がついたらカレンカーペンター」という風になってしまうということなのだ。鯛男になるキモメンもいずれこの悩みに突き当たることになるのであろうか。まあとりあえず置いといて。とにかく女性は男性よりも社会の支配思想と同調しなければならないと考える強い傾向があり、それが男女のオタクの差を生んでいるのではないかなというはなし。
それでやおいというものについてなのだが、これは社会に同調できない少女たちが、社会に反抗して孤立することも出来ず、仕方ないので恋愛資本主義社会と自分の関係性である女性性というものを放棄することで、恋愛資本主義ピラミッドからさよならしたのである。
だがしかし、それは彼女たちが恋愛資本主義を放棄したからそうなったというわけではなく、「若い」「美しい」「どこまでもイノセント」な女こそがピラミッドの頂点のお姫様であるということを逆に意識しすぎた結果として、それに受け入れられるには、現実の女性である自分ではかなわないということと、上述の女性性の排除の必要性と重なって、受けの自己の投影となる美少年と、攻めの情熱的な愛を注ぐ保護者側の存在の美少年の存在の関係というやおいのフォーマットができることになるのだ。
さて、ここまでを前提として、乙女少年祭りにあるような、やおいのステージに進出した喪男のオタクたちというのはなんじゃらホイという話がしたかったんだけど眠いんで今日はむりですごめんなさい('A`)