この日記はミンチよりひでえので読んではいけません!

クリスマスくらいはなんか更新すべえと思ってネタを振り絞っても何にも思いつかないよ!
お久しぶりですそうです今日も仕事です。
でもちょっとくらい休んでも良いよねーと自分に言い聞かせ、世のオタクたちが100%そうしているであろう通りに、僕も「ポケットの中の戦争」を見てました。あれ量産型ガンキャノンで出番これだけだったっけ。
いやーやっぱりクリスマスといえばポケ戦ですねー。きっとブログ界隈でもこの話題でもちきりでしょうねー。
と思ってはてなでキーワード検索したら12月24日だってのに一人しか取り上げてないじゃない!

なによ皆!どうせIGLOOとかに夢中でポケ戦のことなんて忘れちゃったんでしょ!
ばか! ばか! まんこ!
ってそうかみんなマンコしてるからポケ戦を見てないのか…?('A`)
昔はブログ界隈も童貞であふれていたもんじゃが、最近はすっかり採れなくなってしまったようじゃのう。異常気象のせいかのう。


さっきから下品な話ばっかりですいません。
クリスマスの夜を一人さびしくブログ見ながら過ごしている人を少しでも楽しませたかったのです。
でも下ネタしか思いつかなかったんです。
どうもお目汚しすいませんでした。ウンコウンコー






こんな下らない文章書いてるうちに日付が変わってしまった('A`)

ここ最近読んで面白かった本(漫画編)

うう…とてもそれぞれの本の感想とか読解とか、やってらんない状況です…('A`)
とりあえずこの半年くらいで読んだ本で特に面白かったのを幾つか挙げていきたいと思います。


オーレ! 01 (BUNCH COMICS)

オーレ! 01 (BUNCH COMICS)

「ピース電器」「オレンジ」でおなじみ、能田達規先生の新作。と思ってたらもう打ち切られてしもうた('A`)
地域格差・地域振興とサッカー」といった、「オレンジ」でのテーマをより掘り下げた作品で、「オレンジ」にあったような、リアルなサッカークラブ経営を描こうとした野心作。*1
地域における文化環境がどんなもんかというが描かれていて、個人的にとても注目していたのですが、一般ウケしなかったのか大人の事情なのか、残念な結末に。面白いのになあ…
能田先生の次回作にもご期待ください。


チキタ・gugu 7 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

チキタ・gugu 7 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

これは本当に傑作!
「チキタ」と出会ってTONO作品を買い集めてしまいました。短編集「カレンのファスナー」のオビに「とのちゃんたら絵はカワイイのによくもまあこんな話を」とあるように、可愛らしい絵柄に反して、刺すような鋭い毒のある作風です。
人食いの妖怪ラー・ラム・デラルと、「まずい」人間チキタ・グーグーの交流を通して、「人間と動物」「共感と倫理」「孤独と理解」といったテーマを描いた作品。
永野のりこ作品とか好きな人はきっと好きになると思います。なんとなく。
たぶん作者の世代が近いんで、問題意識とかが似たような感じになってるんだと思うのですが。
この間出た「ラビット・ハンティング」もそうでしたが、トラウマとか傷を抱えた存在つう手垢のついたテーマを、至極真っ当なやり方で乗り越えて、普遍性のある作品になっています。まだ最終回見てないけど。
「チキタ」の雑誌連載分は完結しており、単行本だと次回8巻で完結。早ければ今年中、たぶん来年の春先くらいには出る…と良いですね。朝日ソノラマつぶれちゃったけど('A`)


フラワー・オブ・ライフ (1) (ウィングス・コミックス)

フラワー・オブ・ライフ (1) (ウィングス・コミックス)

これも最近になって読んだんですが、いやホント面白かったです。
確かにその辺の中高生とか、大学生くらいの人は「電波男」とかより「フラワー・オブ・ライフ」を読んだほうが良いのかもね…
この作品の内容そのものについては「ひとりで勝手にマンガ夜話」さんがガッツリ語られているし、「さて次の企画は」さんでも分析されているので、僕が付け加えることはあんま無いです。
ただなんというか、喫茶店カップルの横に座りながら「フラワー・オブ・ライフ」読んで泣いてる人間に、「普通」の「青春」は遠いなあと思いました。


[rakuten:book:11892831:detail]
半年というかもう読んで一年くらいになるのでしょうか、ずーっとレビューしようしようと思いつつ放置してたらすっかりメジャーな作品になってしまいました。
こちらも紙屋研究所さんの解説が秀逸です。
武富健治作品は、タコシェで買った同人誌の「シャイ子と本の虫」(短編集「掃除当番」収録)にガーンとショックを受けて、それ以来ハマっています。
「割合真面目な気質の中学生の心の機微」とか、「それを見つめる年長者の視点」というのが、凄く上手に、慈しむような目線で描かれているのが魅力的です。「こういう考え方の人が教師やってたら良かったなー」と思っていたので、「鈴木先生」は期待以上の内容に楽しませてもらっています。

実録!関東昭和軍(1) (モーニング KC)

実録!関東昭和軍(1) (モーニング KC)

押忍!
「実録!関東昭和軍」は「野球の性、悪なり!」というか「体育会系の性、悪なり!」ということが実に生き生きと描かれた名作だと思います、押忍!
オタクのくせに中高6年間、半端に強豪な体育会系の部活に所属していた自分には、「体育会系の上下関係の中で起こる理不尽さ」や「気合と根性と心理戦の背後にある大人の駆け引き」があまりに生々しすぎであります、押忍!
しかしこんなに面白いのに、ネット界隈じゃあんまり話題になってなかったり、モーニングでの掲載位置が微妙な所なのが少々気になるであります、押忍!
なんで自分の好きなスポーツマンガはどれもこれも打ち切られそうなのばっかりなんでしょうか、押忍!


とまあ、このところ読んだ漫画でオススメなのはこんな感じです。いやーこうして見ると全然新規開拓出来てないなホント('A`)
次回は一般の書籍を紹介します…
ってこっちの方こそ全然読んでないんですが。

*1:ただまあ、その「少年漫画的ヒーロー性を極力排して」ってところがもうひとつだったんかもね。

生きてます

だいたい半年振りくらいの更新です。
もはや誰か見ているのかすら怪しい過疎ブログになってるべえと思いきや、意外にカウンターは回り続けているのにビックリです。
見捨てないでいて下さっている方、もしいらっしゃる様なら、どうも有り難うございます。本当に。
この半年、ブログを更新したりするだけの気力・体力・時間・情熱・心の余裕などがさっぱりな状況でした。
「もしかしたら俺ってもうオタクじゃないんじゃないか」と思うくらいオタク的なものとかから遠ざかってしまっていたので、オタクやネット界隈がどんな風になってるのかとか、今時のオタクのムーブメントがどんなもんかとかとんとわからなくなってます。
京アニバブルはまだ続いてるんでしょうか。
まさかのMUNTO再評価運動が起こってたりするんでしょうか。
エヴァでもやっぱりLASとかLRSとかで果てしない争いが続いているのでしょうか。
エヴァといえば竹熊先生はその後お体大丈夫なのでしょうか。
モグダンは未だに綾波本でヌップヌップしてるのでしょうか。
夏のコミケは米澤さんがいなくても滞りなく進行したのでしょうか。
秋葉原とオタクと一般人は上手く共存しているのでしょうか。
地球上のサンソ、チッソフロンガスは森の花の園にどんな風を送ってるのでしょうか。
今の状況がなにもわかりませんです。


いや、そんな状況はこの半年どころか1年以上そんな感じなんですが、このところ輪を掛けて酷くてねえ…(’A`)
ただまあ、あまりにも「書かない癖」がついてしまったので、しばらく矯正のためにもちょこちょことなんか書いていきたいと思います。
あと、有難いことに休んでる間も色々とコメントを頂いているので、すこしずつ返信していきたいと思います。


正直今後もいきなり数ヶ月更新が途絶えるとかあると思いますが、ブログをやめるというのは多分無いので、皆様どうか末永くご愛顧くださいな。

アニメ会プレゼンツ 同人誌トークオンリーイベント 『4日目』レポ

うう、年度初めは色々と忙しくて中々更新できません…
ってこれ一年くらいずーっと同じこと言ってるような(;´Д`)
書くことはホント日に日に溜まっていくのですが…まあ気長に書いていきましょ。


ということでまずは『4日目』の話。どんだけ話題古いのかというアレですが。


井上陽水の「夢の中へ」がかかる中、小脇に大量の同人誌を抱え入場する三平×2沖縄の比嘉コンビ。
三平「今回はみんなを笑わせるライブじゃなくて、みんなに笑われるライブですから」
最初は雑談で、同人誌に手を出して何年になるかとか、最初に買ったものは何かとか、必ず買うジャンルは〜などの話に。
比嘉さんは同人誌に手を出してから3年半、三平さんは一般参加が10年でサークル参加で8年とか。
比嘉「青森のときからそんな買ってたんですか?」
三平「いや、青森のときも同人誌の存在は知ってたけど、そこまで濃いオタクになるのはどうかな〜とか思ってた。それが今や…あの頃の俺にこの同人誌の山を見せてやりたいよ」
最初に買った同人誌は、三平さんが「大川興業の総裁の誕生日プレゼント用にネタとして買ったやおい本」で、比嘉さんが「沖縄に居た頃、通販で買ったファンファンファーマシィーの男性向け本」だったとか。
三平「原作知ってたの!?」
比嘉「知らなかったです。出会いがまた最悪なんですよ。『スーパー写真塾』の白黒ページで」
三平「そういえば同人誌コーナーあったわ…で、買ったんだ」
比嘉「ええ…ちょっと見せられないですけど」
三平「(中身を覗いて)…よく家から中野まで持ってこれたね〜!一回職質うけたら終わりだよこれ」
比嘉「絶対見せられませんけどね」
三平「(本をめくりつつ)俺の本じゃないけど、内容を説明するだけで俺の人間性が疑われそうだもん
比嘉「いくら男性が多いとはいえ…」
三平「(何かを見つけて)あ!」
比嘉「?………あー!ちがうんです!それはちがうんです!それはその…ホントちがうんですよ!
三平「ちょっとまて、これをそのまま言うと本当に比嘉君の人間性が疑われる
比嘉「ちょっと柔らかく説明してくださいよ」
三平「柔らかく言えないよコレ!しかし、え、これはそういう…引くわー
比嘉「ちがうんですよ!これはそう…ごはんつぶですよ、ごはんつぶ!
三平「打ち上げで説教。たしかに年季のある本だってのは分かったけど」
開始20分足らずから身体張ったネタの比嘉さん。会場がこれでだいぶ暖まりました。
余談ですが、ライブの後の集いでその同人誌を持ってるという方がらっしゃったので、どんな同人誌か伺ったところ、『手だけが描かれており、それが体中を撫で回したりする』ようなシーンが描かれているそうです。ようわかりませんが。触手モノっぽいのかなあ。
その後は「初めてのコミケ」「初めてのオンリーイベント」など、即売会にまつわる思い出話が続きます。
で、その中で地方の話が出てたのがちょっと興味深かったですね。
三平「地方とか行ってみたいよね。コミケも何周年記念かで沖縄コミケとかあったでしょ。あれ行って見たかったなあ」
比嘉「沖縄にも即売会ありますよ」
三平「まあそんな地方色豊かな作品はないんだろうけど」
比嘉「ジャンプメインですよね。電車男が流行った時期に、沖縄の芸人がこっちのメイド服とか送ってくれって電話してきたんですけど、あれって結構高いじゃないですか。値段を言ったら、じゃあ沖縄で探すってなって。そしたら意外に手に入ったんですね。沖縄にもコスプレイヤーとか普通にいて、即売会とかやってるんですよ。女性メインみたいですけど」
三平「それ比嘉くんがいなくなったから始めたんじゃないの?
比嘉「そんなことないですよ!ジャンプ作品の女性向けがメイン*1みたいで、沖縄の本屋行くと『ああこの女性店員は腐女子だな』って思いますよ」
三平「お前は沖縄の腐女子の何を知ってるの?」
比嘉「いや知らないですけど。腐女子ルックみたいなのがあるじゃないですか。パンダがかぶってるような帽子とか」
三平「パンダの帽子!?」
パンダの帽子てどんなんだろう…serial experimentsなlainさんが付けてたような耳つきの帽子でしょうか。
腐女子が付けてるかどうかわかりませんが。


そんなこんなで話は「こんな同人誌が欲しい」というコーナーにうつっていきます。
比嘉さんがまず提案したのは「打ち切り作品本」。ジャンプやマガジンなどで打ち切られちゃった作品だと、少なくなからず最終回の展開が強引だったりするので、そこを補完する話やその後の話などがもっとあっても良いんじゃないか、というもの。
ついで三平さんは「クロスオーバーもの」。その場では「団体交流戦」と言ってました。
三平「昔サターンで出たスパロボFにシンジくんとカトルの会話シーンがあるって聞いて、それ目当てで買ったんだよ。それだけでも不純なんだけど、俺ゲーム下手でそのシーン見れなかったんだよね*2。それはともかく、そういう風に作品の中だけにとらわれないで、他の作品との絡みがあると良いなと。シンジくんなんか誰と絡ませても良いよ」
比嘉「例えば誰とが良いですか?」
三平「トライガンのバッシュ。…違う!比嘉君は俺のことを勘違いしている。バッシュはシンジくんの良いお兄さんになってくれそうなのが良いんだよ」
比嘉さんは「うまい棒本」を提案。味ごとに性格の違う女の子が出てくるローゼンメイデン的な話で、ローザミスティカならぬドーラミスティカのために戦い、ドーラミスティカによりうまえもんからドラえもんに進化するとかなんとか。
三平「っていうかアレパロディじゃなくてパクリだぞ多分!また小学館から訴えられるぞ!
比嘉「まじめな作風でいきたいので、作画はpeach-pit先生で」
三平「ひがスィー先生の画力で十分だよ!


そしてコミケ滑らない話」のコーナーに。コミケにまつわる「絶対滑らない話」だそうで、なかなかダウンタウンな企画です。
先攻は比嘉さんで、コミティア行った比嘉さんにマリみて本を頼んだサンキュータツオさんの話や、コミケにオムツ着用してくる腐女子」「シャナとシーサーの肖像権で揉めるオタクと芸人」などの話で滑らずわらかせてきます。
三平さんもおジャ魔女カーニバルを共有したりんかい線の思い出」「館内放送で会場爆笑の話」「占い師に趣味に生きるよう仕事中に言われた話」などを負けじと繰り出します。
どれもその場のノリがないと滑りそうなので省略します。ってライブの山場なんですが。


その後はお二人の同人誌コレクション紹介コーナー。
比嘉さんの「ふたご姫×ハルヒ本」や「同人誌の魂を体現したマリみて本」、三平さんのやおい本コレクションやヤクザパパ本も面白かったのですが、一番工夫してあって面白いと思ったのは、「特定の状況下で女子から言われたいセリフ集」とかいう本です。
これは文字だけの本なのですが、まずセリフだけがあって、そのセリフがどのような状況でどういうキャラが言ったセリフか、みたいな短い設定が書いてある…という形の本のようです。
例えば「そんなこと言ったって、ダメなものはダメ…なのだ」というセリフ。
どういうシチュエーションで言われたセリフかというと、「家庭教師している先のお嬢様(お姫様?)が描いていたマンガのノートを見せてくれと頼んだときに言われたことば」なんだとか。
こういう風にセリフとシチュエーションだけ書いてあとは読者の想像力にゆだねるという、シンプルながらも非常に工夫された内容で、よく考え付いたなあと感心しました。欲しいなあ。
どのサークルさんが出されているかとかご存知の方は、お知らせ頂けるとありがたいです。


ということで、今回は同人誌紹介やコミケあるあるネタが多かったかなという印象を受けました。三平さんは意外とやおいネタが少ないかなという感じで、比嘉さんは最初の方から飛ばしすぎでした。相変わらずのスピード感で、あっという間に終わった感じです。
とはいえ、いつもよりメンバーが少ない分、割と二人の話がたっぷり聞けたように思います。
それも即売会にまつわるディープなネタや裏話とかで笑わせるのでなく、ネタに対する反応や想像の飛躍でウケをとるので、それほどコミケに詳しくない人でも十分笑えるライブですよ。
しかし今回や国井さんの単独ライブのような、「アニメ会の一環でありながら、アニメ会メンバー個別のライブ」が増えていますね。とすると次回は中野ボンクラーズのライブか、タツオ・亀子コンビのライブか、はたまた誰かのソロライブかわかりませんが、そういうライブが増える方向にあるのかもしれません。実際はどうかわかりませんが、もしそうなら楽しみです。


ということで今回はここまで。
実はライブの後でファンのささやかな集まりがあったりしたのですが、それはまた別なエントリで。

*1:こういうところでの地方色ってあんまり出ないのかなあ

*2:Fなら仕方ない気もします

オタクが親になったなら

ところで、われわれ大人が赤ちゃんを抱きしめるとき、それは赤ちゃんを愛していて、保護しているしるしだろうか。大人の方が赤ん坊にしがみついているのではないだろうか。不安で寂しいときの鎮静剤として赤ん坊を利用するということはないのだろうか。
イーフー・トゥアン 「愛と支配の博物誌―ペットの王宮・奇型の庭園」)

近頃では、結婚して子供をもうけてらっしゃるオタクも多いと聞きます。
オタ親」なんつう言葉まであるらしく、一瞬「オタクやってる人の親御さん」という意味かと思いましたが、「オタクでかつ子供がいる人」という意味のようです。
さて、そうしたオタ親の子育てには、大きく分けて3つの特徴があるそうな。


大きな特徴の一つには、「子供にアニメやマンガのキャラの名前をつけること」ですね。
例えばK-1角田信朗みたいに息子がケンシロウで娘がユリアとか。星矢くんとかは今の10代後半くらいに結構な数がいそうです。最近だと、東浩紀先生が娘にCLANNADの汐から一文字とって名をつけていました。
オリジナルな名前をつけたがる人もいますね。大概どこのエロゲーからとったのかというネーミングセンスですが…かつて僕が見た例では、「久遠(くおん)」ちゃんとかいう「特攻の拓」チックな名前を将来娘につけたいと熱く語る大学生のオタクがいました。いまのところ、実際つける機会はなさそうです。


ついで、「子供をイベントに連れていく」人。
これは特に都市部の人限定かもしれませんが、小さなものだと遊園地のヒーローショーから、大きなものだとコミケまで、マンガやアニメやゲーム関連の様々なイベントや施設に連れて行く傾向にあるようです。
遊園地のイベントでは子供をダシにして行くというパターンも多いようですが、対象年齢が高めなイベントの場合、自分の都合で子供を連れまわすこともままあるようです。
特にコミケに子供を連れて一般参加したり、幼児をサークルの売り子にしたりコスプレをさせたりする人は、安全や教育の観点から問題視する意見もあります


もう一つの特徴としては、イベントに連れてくのも含めて「子供にオタクの英才教育をすること」
自分の好きなマンガやアニメを他人に見せたがるのはオタクの常ですが、子供に対してはより体系だてた教育として作品を鑑賞させる人が多いとか。この辺の話はオタキングもしていますね

まず子供に与える作品。フツーの親なら、とにかくディズニーとなるところだが、オタクは違う。以下は全て現実にあった話だ。
 クレヨンしんちゃんの映画に3回も4回も子供を連れていく親。小さい頃から「トップをねらえ!」を何十回となく見せる親。3才の子供はセリフを丸暗記してしまった。ストーリーは半分もわかってないけど。
 「未来少年コナン」をもう通しで50回は見せられたという5才の子供もいる。全26話をだ。初めて見た時は、親といっしょに一気に見た。見終わったのは朝。徹夜明けでハイになった子供はもっと見たいと泣いたそうだ。
(岡田斗司夫 「オタクの迷い道 (文春文庫)」)

もちろん、全てのオタ親がこうするわけではないでしょうが、している人がいるというのも確かです。
しかしなんでこうした特徴が現われるのでしょうか。


まず名前から考えてみましょう。
経済学者のスティーヴン・レヴィット曰く、「親は誰でも、子供が将来どんな人になるかに大きな影響を与えていると信じたい」とか。その証拠の一つが、子供に名前をつけるときで、親は本人が意識せずとも、子どもの社会的成功が得られそうな名前を付けたがる傾向にあるんですと。
しかし子どもに「翼」と名づけたりするオタクの名前の付け方や、子どもに「天使」と名づけようとする人は、これにあてはまらないような気もします。
そこでまたレヴィットの本を見てみましょう。

……フライヤー(引用者注:黒人と白人の名前と環境の関連を調べた人)の考えでは、子供に超クロい名前をつけるのは、黒人の親が地域社会に送る連帯の意思表示だ。(略)黒人の子が微積分を勉強したりバレエを習ったりすると「シロい振る舞い」をしていると思われてしまうなら、赤ん坊をシャニースと名づける母親は単に「クロい振る舞い」をしているだけだとフライヤーは言うのだ。
(スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー 「ヤバい経済学」)

文化集団ごとに付ける名前が異なる傾向にある理由は、その集団の人たちが「自分はあんたらの仲間よ」というのをアピールするために子供に「それっぽい」名前をつけるのだ、という説ですね。オタクの名づけの特徴には、どっちかというとこちらの方がしっくり来ます。
つまり、オタ親が子供にアニメやゲームのキャラからとった名前をつけたりするのは、周囲のオタクやあるいは自分自身に対して「俺って子供にまでこんな名前つけちゃうくらいオタクなのよ」とか、「俺はこんだけこの作品やこのキャラに入れ込んでるんだよ」とアピールする意味が(本人は意識せずとも)あるのではないか、っつうことですね。
では、なぜ多くのキャラの名前から、その名前を選んだのでしょうか。
オリジナルの「オタクっぽい」名前をつけようとする人に注目してみましょう。そうすると、彼らはその名前を単独で考え出したのでなく、彼らの妄想のために考え出しているということが分かります。
例えば先ほどの「久遠」という名前を考えた彼の場合、「久遠」は彼の妄想物語の登場人物としてまずあって、そのイメージに合う名前として「久遠」と命名されているわけです。
つまりここで彼が「娘が出来たら久遠と名づけたい」と言ってるのは、単にネーミングセンスがアレというだけでなく、娘にその名前をつけることで自分の妄想のようになってくれることを期待しているわけですね。
社会的成功よりも自己幻想に沿うことを期待している現われといえます。
あいや、彼は実際に子供が出来たら性的虐待してやろうと考えているわけでは無いと思いますよ。ええ、多分。母萌えで母モノエロゲが好物の人でも、実の母親をファックしたいとは考えてないのと同じです。誤解なきよう。
ただ、なんとなく自分の妄想のキャラのような容姿・性格・人生に成って欲しいと思い、そういう名をつけようと考えているのでしょう。
アニメキャラから名前を引っ張ってくる場合も似たようなものです。別にファンタジー世界に行って活躍して欲しいとか考えてるアホは勿論居ないでしょうが、そのキャラのような容姿・性格になってほしいという願いが多少なりあるから、無数のキャラの中からその名前を選んだのでしょう。


つまり、ある種のオタ親が「オタクっぽい」名前をつける(つけたがる)理由は、一つには「自分のオタクらしさのアピール」であり、もうひとつは「妄想の実現を期待している」からなのです。


他の二つの特徴についても、ある部分では同じことが言えるかも知れません。


子どもをイベントに連れて行く理由の大きな割合を占めるのは、もちろん子ども自身が見に行きたいからだと思います。
子どもが見に行きたくもないウルトラマンショーにムリヤリ連れて行くオタ親も中にはいるかもしれませんが、大概は子どもが見に行きたがってるから行くわけで、その上で自分も見に行きたいし、という風になるのでしょう。
しかし、子ども自身が幼いのに対象年齢が高めのイベント、それこそ例えばコミケとかに連れて行くのは、基本的に親の都合です。
ただ、その「都合」は単に同人誌が買いたいから、というだけでなく「子どもと一緒に回るコミケ」というものに憧れを持っていたり、「自分の娘はコミケに来るくらいオタクで、自分はそんな娘に育て上げるくらいオタク」ということをアピールしたいからかも知れません。
こちらのブログの記事は、「コミケ行ったらオタクのオナペットになるとかも考えずに子どもにコスプレさせてる親とカメコがいてソーバァーッド!」ということが書かれています。結構古いけど。

4〜5歳の双子らしき女の子もいたよ。プリキュアやってたよ。
そんな子供に寄ってたかってパシャパシャ写真を撮るカメコ集団。
しかも、撮り終わった後に「ありがとうございます」と敬語。
ていうか、普通なら撮影の了承はその子の親にするもんじゃないか?
それを本人たちにしかも敬語で断りを入れるってなんか異様だ。異様すぎる。
彼女らはなんで自分が撮られているのか理解できてるんだろうか?
かわいかったけど、これって微妙に幼児虐待ではないか?
(ともに< http://doku.poolhool.com/?eid=181918 > より)

上の話のような光景はたまに見かけますが、なぜこれらのオタ親たちは子どもにコスプレをさせたがるのかというと、それも上の話と同じなんですな。「ホラ見て!うちの娘が可愛いでしょ!」という単純な顕示欲だけでなく、コスプレした娘や息子*1が注目されることで、その親は他人と自分に「俺はこんな娘にもコスプレさせちゃうくらいオタクなんだよ!」と思わせているのです。
それが周り良く受け取られるかどうかは別として。
そうした親の原理について、進化心理学者のニコラス・ハンフリーはこう述べます。

親は、自らに宗教的あるいは社会的利益をもたらすために自分の子どもを利用してきたし、今もそうしている。自分たちの社会的、宗教的立場を維持するために、子どもに着飾らせ、教育を施し、洗礼をさせ、堅信礼やバルミツヴァ(ユダヤ教徒の成人式)に連れて行く。
(ニコラス・ハンフリー 「喪失と獲得―進化心理学から見た心と体」)

ということで、子どもに自薦DVDを見せたり様々なマンガを読ませたりするオタクの英才教育にしても同じです。
子どもに「こういうアニメを見せたい」と言うとき、子ども自身が楽しんでるからとか、子どもに良い作品をみて欲しいから、という想いだけでなく、「子どもにアニメを見せてる自分」というイメージを消費したいためにしている部分が全くないでしょうか。
また、自分の子どもが同年代のオタクっぽい子よりも遥かに濃いオタクになるのを見て、自分のオタクっぷりに快さを感じていないでしょうか。


ここで言ってきたのは一見すると「んなオタクぶりのアピールなんかしてどーすんの」という類の話ですが、「オタク」とか「アニメ」とかの部分を入れ替えれば、大体どの親にもあてはまる話になります。
例えば子どもに「亜菜瑠」とか名づける親も、亜菜瑠ちゃんはこういう子に育って欲しいという以外に、その文字列から連想する亜菜瑠ちゃんの姿を妄想していたり、同じように尖った名前の子どもを持つ友達と「やっぱりこれくらい名前にこだわらないと愛情がないよね」とか言い合って自分のDQN具合をアピールしあうことで、仲間としての結びつきを深めたりしていると聞きます。(←中段下くらい)
美術館でドタドタ走り回る子どもを連れてる親は、単純に「自分が行きたかったけど子どもを預けられないから連れてきた」とかでなく、「子どもと一緒に美術館を鑑賞する文化的な生活」とかに憧れてたり、「自分は子どもを美術館に連れてくるようなハイソな人たちの仲間だよ」とアピールしたいから連れてきたのかも知れません。
カルト宗教に入れ込んでる親は、ほぼ確実に自分の子どもにもその宗教の価値観を刷り込もうとしますが、それは親自身が言うような「子どものため」ではなく、まず純粋に自分のためです。

私たちが見ているものは、往々にして、純粋な私利私欲である。その場合、親あるいは他の責任ある大人の側の善意という罪を軽減する言い訳を許すことさえするべきではない。彼らは自分たち以外の誰のことも気づかってはいないのだ。
(ニコラス・ハンフリー 「喪失と獲得」)

ですので、今回の話は、別にオタクやオタ親をシメてやるという意味で書いてるのでなく、親全般にありがちな道徳的誤りについて述べているのです。


さて、たとえそもそもの目的が自分のためだとしても、結果的に子どものためになりうるなら許されることではないか、という意見もあるでしょう。ですが問題は、こうしたことが実際に子どものためにならないことにあります。


例えば「月(らいと)」と名づけられた事がその子のためになる可能性はほぼ無いですし、むしろ人生に悪影響を及ぼす可能性の方が高いです
名前がその子に期待するイメージを与えてくれるわけではないのと同じように、姓名判断みたいに名前で運命が変わるとかは勿論ありえません。しかし、その子の名前にいじりやすい要素…それこそアニメキャラの名前だったり…がある場合、つまりその名前の与えるイメージが周囲の人には良くない場合、周りの人もその子を馬鹿にした扱いをする傾向が生まれるでしょうし、そうした扱いを受けるとその子の自信も傷つくでしょう。そして、自信の有無は名前よりも人生を左右します。自分がその子に望んだものとは逆の結果をもたらしかねないのです。
イベントに連れまわすことについても、英才教育についても、大なり小なり似たような事が言えます。他人からの迷惑そうな視線や、友達と共有できないような話題ばかりを子どもに与えるのは、その子の心の傷になるかもしれません。

子どもたちは人と違うことを嫌い、それにはそれ相当の理由がある。奇異であることは仲間集団では徳とみなされない。子どもに一風変わった名前、くだらない名前をつけただけでも、子どもに不利を招きかねない。
(ジュディス・リッチ・ハリス 「子育ての大誤解」)

少なくとも、現在の世間一般でオタクが「キモくていじめても構わない存在」とされている以上、親としてはどれだけオタクの素晴らしさを知っていても、可能な限りオタクっぽくない風に子どもをしてあげるべきです。
主体性が確立してくる高校生とか大学生くらいの年頃の子どもに「オタクをキモイとか言う連中が悪い!2次元最高!」という「電波男」の理屈が通じても、小中学生くらいまでの、子どもの人格が決まるまでの段階では、出来るだけオタクらしさが出ないようにしてあげるのが親の務めではないでしょうか。


じゃあ子どもに自分の考えた名前を付けたり、どこかへ連れて行ったり、アニメをみせたりしちゃいけないのかというと、そうではありません。
子どもは自分と独立した利害がある存在だと認識して、その子の人間環境に悪影響を及ぼさないような程度で、名前を付けたり、一緒にアニメや漫画やゲームを楽しんだり、色々なところに連れていったり、服を着せたり、物事を教えたりするのは、親に許された特権で、誰も妨げることは出来ません。
ただ、その特権を行使するなかでも、何より子どもに配慮がなされなければいけないでしょうし、子どもを愛することで、その配慮自体もまた自分の喜びとなるのではないでしょうか。
このid:y05kさんのような方を見るに、そう思います。

「もし将来男の子が産まれたら”ガンバの冒険”は見せてあげたい」
「もちろん特撮はウルトラシリーズをマンからタロウまで総ざらい」
などといろいろ考えていたんだけど、いざ子供が産まれてみると、やはりそんな過去の遺産なんかより、現行のシリーズを見せてあげたほうがいいと思うようになった。世代とともにうつろう文化を背負って人は育つのであって、「そういえば子供の頃○○って見てた?」という会話に参加できないのは寂しいよね。< http://d.hatena.ne.jp/y05k/20060911/p1 >

そして、他のどういう人よりも、オタクにはそうした素質があるんじゃないかな、と思います。

人間同士の関係では、力は必ずしも濫用されるばかりとはかぎらない。たとえば親や教師を例にとるなら、彼らが子供を支配しようとつとめるのはたしかだが、それは子どもが成長して幸福になるようにと願うからだ。……どの場合にも力を行使する側から行使される側へと善意が流れる。流れた後には一時的に空っぽの場所が出来たような感じがする。だが、力を行使された人は与えられた力によって世界が広がり、新しい生命を手に入れる。
これこそは創造を意図する力の行使であり、私はこれに愛の名をさずけたい。
イーフー・トゥアン 「愛と支配の博物誌」)

*1:そういえば息子をコスプレさせてるのはあんまり見ないような気がする。偶々かも知れないけど。

マグマ星人 さんの日記

円谷プロのエイプリルフールイベントが凄すぎる。

四月一日だけだと思うので一応キャプ。


ゾフィーのいじられっぷりとか、ザムシャーのツンデレっぷりとか、エンペラー星人の小物っぷりとか、ベムスターの萌えっぷりとか、ウルトラの母のカーチャンっぷりとか、よくぞここまでネタを揃えたもんです。

特にマグマ星人はすごい。
よくまあこれほど生々しくdqnというかウザイ子っぷりをトレースできたなあと感心します。
SNS辞める発言でコメント稼いで、発言撤回したときにコメントが全くついてなかったりとか。
2chならぬ78ちゃんねるで地球破壊予告やって宇宙警備隊から注意されたりとか。


これほどネットの空気に精通した人材を揃えて、その上でこんな大規模なネタをやるあたり、円谷プロも安泰かなという気がします。
でも一方で、こんなバカなネタのためにサーバーや回線強化したりして大丈夫なのか心配になりますが…


円谷プロのウェブサイト製作担当の方に感謝するとともに、飛ばされないよう影ながら祈っております。

国井咲也単独ライブとガンダーラ映画祭の記憶

また最近更新が滞っております…(;´Д`)トホホ
ここのところ東京と家とを行ったり来たりで、あんまりパソコンの前に座ってるヒマが無いです。
と言いつつ「ウトナと3人の騎士」とかやったりしてるのですが。


そんなんで今月は結構長い間東京におりまして、用事の合間を縫って色々と見回ってきました。
今日は見てきたものの幾つかをサラっと紹介しようと思います。

「新任教師」

一つには国井咲也単独ライブ「新任教師」ですね。
恥ずかしながら、アニメ会のメンバーの「アニメ会以外のライブ」に行ったことがない*1上、特に国井さんは漫才バカ一代とかにも出てないそうなので、雰囲気が想像できませんでした。
ネットで調べたら「国井さんのピンのライブはオチがきれい」という話があり、ダイレクトメールにも「普段アニメを観てない人にも楽しめる」と書かれていたので「意外とオタネタの少ない、爽やかに笑える内容なんかな?」と思いつつ観に行ってみますと。







こんな感じだった。
いつも通りっちゃあいつも通りでしたが。


内容は特設ブログの方でも書かれているように、

☆ホームルーム
☆オープニング映像
☆鬼教師
☆家庭教師
☆部活動
☆妹ツアーズ
☆通販
☆神父
☆吸血鬼
☆ミュージシャン
☆エンディング映像 < http://sakuya2007320.blog86.fc2.com/blog-entry-8.htmlより >

という構成でした。
ライブではコントとコントの合間にタイトルムービーが流れたのですが、そこでは上で「鬼教師」となってるのが実際には「鬼」というタイトルで、「部活動」が「猛特訓」、「妹ツアーズ」が「ディズニーランド」、「通販」が「ダイエット」で「神父」が「教会」、「吸血鬼」が「ブラム・ストーカー」だったような。
タイトルムービーには「悪魔の辞典」のノリでその言葉の説明文が入っているのですが、その文章がまた尖ってましたね。アニメ会のライブでは見せない国井さんの毒と下ネタがあふれ出ていました。
以前アニメ会のライブでは、「国井さんが下ネタを言うと生々しすぎるからやめて」と他のメンバーから突っ込まれてましたが、いやー生々しかった。
なんぞDVDで出すかもしれんという話なので、もし機会があればご覧くださいな。
名よりも見るはおそろし。


やっぱり印象的だったのは「クニーズブートキャンプ」ですね。国井バンドの衝撃もさながら、それを床において顔を近づけた瞬間は「そこまでやるのか芸人は」と思いました。いや間一髪でした。
幕間に後ろに座ってた人たちがさりげなく「今のは流石に一瞬引いたわ〜」と笑いながら囁き合ってましたが、こんなのはまだまだ序の口、「吸血鬼」となると、かなり綱渡りな内容でして…
いや、女性の声優さんとかが招待席に座ってるのに「俺は吸血鬼だから処女じゃねえとダメなんだよ!」とか言うのは大丈夫なんでしょうか、色々と。
とどめはメタリカだし。


ガチとギミックの境を行く国井さんのライブは、不思議な熱気と高揚感を保ったまま終わりました。熱気の方は劇場が満員すし詰めだったせいもあるやも知れませんが。
ともあれ、国井咲也単独ライブ「新任教師」、たいへん面白くて満足行く内容でした。
4月5日の「四日目」もなんとか都合つきそうなので行きたいと思います。

ガンダーラ映画祭

あと、下北沢でやってた「ガンダーラ映画祭」という娯楽ドキュメンタリー映画のイベントも見て気ました。
「下北沢」「映画」「ドキュメンタリー」でタイトルが「ガンダーラ」とくると、もうこれでもかと言う位にサブカル臭プンプンですね。
なんでまたそれを見に行ったかと言うと、前回のアニメ会ライブで亀子のぶおさんが「このドキュメンタリー映画の一つに弥生人役で出てます」と告知していたので、期待したらきっと悲しい気持ちになるとわかっていながら見に行ってしまいました。
で、「亀子のぶお扮する弥生人土人と一緒にパチンコの起源を教えてくれる」という導入から入る問題のドキュメンタリー映画、「パチKILLジャポン」。監督は「なぎらツイスター」で有名な小説家の戸梶圭太さん。
「パチンコをやると人間はバカになるというのは本当か?」というテーマのこの作品。テーマだけ見るとそこそこ面白いものになりそうですが。


…(’A`)


さて、他にも色々と映画がありました。
何年か前に話題になった「ワラッテイイトモ、」がようやく観れました。感想としては…難しゅうてようわからんです。
いや、メタメタな視点は大きな物語を喪失してシュミラークルが云々と、色々理屈つければ理解できると思うのですが、そんなんするのも面倒で…。
というかそういう楽しみ方をするものなのでしょうか。やっぱりオラにはこういうサブカルなんはダミだ。肌に合わないよう。(’A`)


でもつまらない作品ばっかりじゃなかったですよ。
童貞。をプロデュースビューティフル・ドリーマー」という作品がありまして、趣旨としては「童貞をプロデュースして彼女をつくる」みたいな感じです。
最初は「童貞とかオタクを晒しものにしてバカにする作品かなあ」と思っていたのですが、主役の童貞の人が半端じゃないアイドルオタクで、とにかく個性が強い。おそらく本来の作品テーマと逆に「地方の片田舎で下流社会を童貞が生き抜くには、オタクとして精進するしかない!そうするうちに根本敬が君の家に遊びに来るかもしれないぞ!」という作品に仕上がってました。
もうちょっと詳しい解説はこちらのブログを参考にしてください。
あと「御巣鷹山」とか「ザザンボ」で有名な渡邊文樹監督を取材した「俺の流刑地」は、ドキュメンタリーとして普通に面白い作品でした。監督のご夫人が言ってた「地方は面白いですよ。どこも一緒に見えるっていうことはありません」という言葉が印象的。うちの町にも渡邊監督が来ないだろうか。

僕はB・Cプログラムしか観てないのですが、「童貞。」と「俺ルケ」が特に面白かったですね。片方だけでも1000円分の価値はあったかと思います。


残念ながらガンダーラ映画祭はもう終わってしまっているのですが、それぞれの映画はこれからあちこちでも上映するようなので、興味がある方はネットで上映劇場を探してみてみるのも良いかと思います。


他にも色々書くつもりでしたが、時間がないのでこの辺で。

*1:正確には西口プロレスをちょこっとだけ見たことがあるのですが