奴隷と動物の解放@大英帝国

17・18日はこんなところに行きました。
最近ペットについて色々と調べてるので、なんか参考にならんかなと思って行ったのですが、参加費のおかげで今月は金が…('A`)
内容のほうは、生物学的見地から云々の話はよくわからんので「そんなもんか」という感じで、アンケートを用いた研究とかは色々と微妙な内容でしたが、全体的に結構面白い学会でしたよ。特に、英字新聞から日本の動物愛護団体の設立にあった外圧を読み取る、という研究は面白かったです。
こういう比較的新しめで、しかも色々な学問領域の人が参加している学会は、実力のピンキリとかはあっても、学会全体に元気と真剣さがあって良いですね。
かたや爺さんばっかりの伝統と威厳ある学会とか…しかも文系だとね…ウウッ
それはさておき、一般口演の後のシンポジウムで、井野瀬久美恵さんという甲南大学の教授が「なぜ『動物』だったのか――イギリス人の愛護意識再考」という題目で口演されました。それがまた抜群に面白かったので、どんな内容だったのかをご紹介したいと思います。

イギリス人といえば紅茶か犬かというイメージがあります。特に犬を飼っている人にとっては。
はてなで良く目に付くコーギーなんかは英国産です。他にもソースで有名なブルドッグとか、「名犬ラッシー」で有名なコリーとかの良く知られた犬たちは、大概イギリス(アイルランド含む)原産だったりします。そうした多様な犬種を保つために血統書というものがありますが、それを発行するケネルクラブという機関もイギリス発祥です。
これらの事実はイギリス人と犬の親密さを感じさせますが、時には親密さが行き過ぎて「犬を太らせたから有罪」みたいなニュース*1まで流れたりします。

恋愛よりお金より犬が大事なイギリス人

恋愛よりお金より犬が大事なイギリス人

そんなことから、イギリスは動物愛護の先進国と言われ、それがイギリス人たちのアイデンティティにもなっているとも言います。
しかしこれは歴史的に見て最近の出来事。
大昔のイギリスというと、貴族も庶民もドッグレースとか闘犬とか、鎖につながれた熊に犬をけしかける「熊いじめ」などで動物を虐待しまくっていました。
といってもイギリスだけでなく当時のヨーロッパ世界はどこもそんな感じだったのです。デカルトは「人間様と違って動物は魂なき機械なんじゃー」と言ってましたし、キリスト教的にも「動物は神様が与えた人間の下僕やん?」的な考え方をしました。
個々人で「犬がすき」「ぬこかわいいよぬこ」というのは勿論あったのですが、社会全体としては「でも所詮畜生だよねー」という考え方が、少し前の常識だったのです。


しかしイギリスは、近代に入る中で動物愛護の精神が導入され、現在のような動物大好きっ子の国になります。なんででしょうか。
その理由の説明では、「人権思想が発達して、ヒューマニズム的に動物いじめたらアカンとなったから」と、単純に「人々の考え方の変化」で語られることもしばしばですが、そうではありません。
実際には、歴史・社会的な文脈が複雑に関わって、動物に対する眼差しが変化したのです。では、その歴史社会的な文脈とはどんなものだったのでしょうか?
…というのが今回の井野瀬先生のお話です。

「政治改革・道徳改善・社会改良・都市化」

大英帝国において、1824年に動物虐待防止協会というものが世界に先駆けて発足しました。1840年にはヴィクトリア女王よりロイヤルの称号を下賜され、王立動物虐待防止協会となり、現在でもさかんに活動しています。上に挙げた「犬を太らせたから有罪」という事件を調査・告発したのもこの協会です。
英国領の植民地…カナダ、オーストラリア、南アフリカなどでもこの協会は活躍しました。特に南アフリカでは、アパルトヘイトが廃止されるずっと以前から、動物愛護・虐待防止が強く叫ばれていました。
またこの動物虐待防止協会が出来てから40年後の1864年、子どもの虐待防止協会設立されますが、モデルになったのは動物虐待防止協会です。
どちらも今の感覚からすると、順序が逆のような気もします。
人に対する差別よりもまず、動物への差別が問題とされる。こうした奇妙な状況は、どのようにして生まれたのでしょうか。


動物に対する眼差しの変化する理由としてまず挙げられるのが「都市化」という要因。
産業革命の影響により農村部の人間の出稼ぎが増え、19世紀中ごろの人口調査では都市部住民の数が農村部住民の数を超えていました。こうして大多数の人民が都市部でのそこそこ豊かな生活を行う中で、動物と人間の関係が変化していき、虐待防止の運動が「都市化」によって起こった…。という考え方です。
しかしもっと重要な要素は、1776年の「アメリカの独立」ということにあるのです。


アメリカという植民地の独立により、大英帝国は政治改革・道徳改善・社会改良の時代へと入っていきます。
アメリカの独立は、イギリスにとってはアメリカの喪失でした。
好き勝手やってる癖に「自分は皆から好かれてる」と思ってる勘違いさんなイギリス。戦争するほど植民地の連中が自分のことを嫌っていたなど、考えたこともありません。
アメリカに住んでいたイギリス人は、元々島流しにあった罪人たちだったり食い詰めた貧乏人だったり、イギリス本国に暮らしてる貴族とかにとっては見下す対象でした。が、それでも同じプロテスタント同士、同じ国出身の自分の息子みたいなものですから、アメリカ人と戦うことは、カトリックとかの異教徒と戦うよりショックが大きかったわけです。
そこで戦争が終わった後、イギリス本国の人たちは「自分はこんな嫌われる奴だったのか」と珍しく反省しました。
一方イギリス側についたアメリカ人たちは、戦争に負けた後、北へ北へと逃げました。こうして、英領だけどフランス人だらけのカナダに王党派のイギリス人が流れ込み、イギリスによるカナダの直接支配へと繋がります。またイギリスはアメリカの代わりの流刑地を探す中でオーストラリアを発見し、帝国の版図を広げます。
さらに1801年にはアイルランドが併合され、イギリスは「グレートブリデンおよびアイルランド連合王国」となります。
このように動物に対する視線が変化していく時代には、広大な植民地を有する大英帝国の再編と、島国としての連合国再編、それらに伴う国家規模の意識の変革が、同時に起こっていたのです。


このイギリスという国の再編期には、どのような改革がなされたのでしょうか。
一つには奴隷貿易の廃止です。1807年に奴隷貿易が廃止され、1833年には奴隷制度が廃止されます。
次に監獄と精神病院の改革。それまでイギリスでは精神病院が誰でも見学できるようになっており、精神病院に出かけてキチガイを眺めて楽しむのが一つの娯楽でした。また処刑も同じで、広場で首チョンパされる罪人をみんなで観覧して楽しむものでした。それを段々と規制して、最終的に廃止するようにしていきます。さらにイギリスは「工場法で児童労働の改善」「救貧法の改正で貧者の救済」「カトリック法案で規制緩和」「東インド会社の独占禁止で自由貿易化」などを行っていきました。
このように18世紀末から19世紀のイギリスは、二つの新しい概念を自分たちのアイデンティティとしました。
一つは、封建的・閉鎖的な旧体制から色々なものを解放していく自由主義」な体制
もう一つ重要なのは、「慈悲深き博愛主義の帝国」というイメージ
どちらも変化は漸次的なものでしたが、それぞれのメルクマールとして重要だった出来事が、「奴隷解放」と「動物愛護」だったのです。

動物と奴隷の法、動物と人の境

今年はイギリス奴隷貿易廃止200周年記念で色々式典とかキャンペーンがあるそうですが、この「奴隷解放」が、イギリス人の動物への見方に大きく影響を与えたと井野瀬先生は言います。


1772年、裁判官のマンスフィールド奴隷制は非合法であるとし、「誰でもイングランドの土を踏んだ瞬間から自由である」と宣言。これがイギリス国内における奴隷の扱いの一つの指標になり、ここから奴隷解放が進んでいきます。
1781年、「ゾング号事件」という事件がありました。
洋上で迷子になって食料が底をついた奴隷交易船が奴隷を海中投棄したという事件で、船主側が「やむをえない損失だったから保険が適応されるべきだ」としてロイズ保険組合を相手に訴訟を起こしたという事件です。判決としては「奴隷を捨てたんは死に掛けた馬を捨てたみたいなもんだから、保障してあげなさい」という結果になりました。つまり当時の考え方としては、奴隷と馬は同じ扱いで、どっちもただの積荷程度の価値しかなかったわけです。
このゾング号事件を例にして、ケンブリッジ大学の学生トーマス・クラークソンが懸賞論文を書きました。基本的にジャマイカとかの西インド諸島にいた黒人奴隷たちの存在は、多くのイギリス人にとって不可視な存在で、情報がさっぱりありませんでした。知りもしないことなので、奴隷についてどうこう思うことも出来無かったのです。論文を書く中で、奴隷の現状と奴隷に対するイギリス人の意識に気付いたクラークソンは、奴隷解放運動を展開し、やがて奴隷貿易廃止協会を立ち上げます。
そこで使われた広告の一つは、黒人が膝をついて「奴隷は人間ではないのか?」と嘆いているもの。
次に1810年には「ホッテントット・ヴィーナスに関する訴訟事件」というのが起きます。
これは南アフリカの先住民であるホッテントット族の女性(尻が大きい独特な体形をしている)が、イギリス国内で見世物小屋に出されたことに対する訴訟事件のこと。見世物小屋では、アフリカやアジア・アメリカ産の珍しい動物と、黒人などの先住民とが、一緒くたにされていました。奴隷は動物扱いで、動物は奴隷扱いだったのです。
こうして、段々と「動物扱いしていた奴隷も、人間として扱われるべきだ」という考えが広まっていきました。


奴隷制廃止運動とほぼ同時に、動物の虐待防止についての法律も整備されていきます。
1800年に「牛いじめ違法の法案」が提出(通過せず)され、1809年には「動物に対するいわれなき虐待抑圧・防止協会」ができ、1821年には「残酷で不当な家畜使用を禁止する法案」が提出され、翌年に議会を通過します。1824年には上述の通り動物虐待防止協会ができ、人々の共感を得、動物虐待への人々の関心が向上しました。
1826年に動物学会設立、1831年には「動物に対する合理的慈悲促進協会」が発足、1835年にはヴィクトリア女王が動物虐待防止協会に入り、「熊いじめ禁止法」なんてのも出来ます。
この「熊いじめ禁止法」は別にクマさんを助ける法律ではありません。1822年の「残酷で不当な家畜使用を禁止する法」(マーティン法)を改正したものなのですが、馬や牛・羊だけだった保護対象に「熊いじめ」という娯楽で使われていた犬も加わり、冒頭に話した「熊いじめ」を禁止させたのです。
以降マーティン法は動物福祉法の基盤となり、「物言わぬ動物たちのマグナカルタ」と言われるようになります。
そして1840年アヘン戦争真っ只中、イギリスは「黄色人種を支配して搾取するかんね」と企み、中国ではラリパッパがどんどん増えていた頃。
動物虐待防止協会に「王立」の名を冠するすることが許され、イギリス国内で動物に対する愛護の感情はますます高まり、「犬や馬とかの動物も、我々人間と同じように苦しむのだから助けなくてはいけない!」という考え方が女王公認で広まります。


奴隷解放と動物愛護の人的なつなぎ目として、ウィリアム・ウィルバーフォースという人物がいます。
リンク先のウィキペディアを見てもらうとわかるのですが、彼は国会議員として奴隷廃止運動の立役者として活躍した人物です。彼の背後には国教会福音派(クラッパム派)というのがついており、ウィルバーフォースとクラッパム派は、動物虐待防止協会設立の際、会員として名を連ねていました。つまり、動物と奴隷の話には、人的な面でも重複が見られるのです。


こうしたことから、井野瀬先生はこう考えます。
「動物愛護と奴隷廃止は実際は重なった運動で、そこでは『人間(白人)は動物(奴隷)とは違う』という考え方と、『動物(奴隷)も人間(白人)と同じように苦しむ』という考え方がぶつかりながら変化していった」と。

解放と救済のモデル

しかしどうして奴隷と動物だったのでしょうか。
最近では、奴隷解放は黒人自身の抵抗運動が大きかったとする説が有力になってきています。奴隷が廃止されるまでには、奴隷たち自身が解放を求める主体性と、英国の自由主義への変化がかみ合っていったのかもしれません。
一方動物はワンとかニャーとしか言いませんから主体性は無いわけですが、これが逆に、「奴隷と違い、何も言わないで虐待される動物たちを、自分たちが救わねばならない」という博愛精神につながっていったのかも知れない、ということです。


奴隷と動物の解放のプロセスとして共通しているのは、どちらも「漸次的な解放」ということです。
最初に奴隷貿易が議会で廃止されてから、奴隷制自体の廃止が議決されるまで、結局30年近く掛かっています。
動物虐待防止協会も、最初期の活動の中心は、動物の保護をすることでなく、虐待をしている人間を監視し告発することでした。協会としても、「俺たち告発するだけでいいのかな」という悩みを抱えていたことが、議事録などから伺えます。対象となる動物も犬から猫、鳥、魚の順番で広がり、監視告発だけでなく「保護」が徐々に活動に含まれていきます。
イギリスの救済は、まずそのための法案を議会で通過させることで、救済を行っていきます。
そして法を成立させる際に重要になる民間の団体も、段々と救済の対象を広げ、より深い救済へと目標も変化していきます。
つまり、イギリスにおける救済や解放とは、あくまで漸次的なのです。


この「漸次的」な性格こそ、貧者や子供や女性の解放が動物よりも遅い理由となりえます。
労働者や貧乏人や女子供も、皆どうにかしなきゃいけないけれども、一片に片付けることは出来ない。
下手に労働者や貧者を取り上げて革命とか起こされたら嫌だし、当時は「移民すれば金持ちになれる」みたいな幻想があって、捌け口には困らない。女子供は家父長制のなかで、中々政治問題化しにくい。
法改正の優先順位を考えると、奴隷や動物のほうが政治の俎上にのせやすかった。…ということだったかも知れません。


このように、イギリスの動物愛護精神というのは、単なる人道主義というだけでなく、奴隷解放アメリカ独立などとも関わった、深く歴史的・社会的な文脈の中で培われたものなのです。

というのが井野瀬先生のお話でした。なんだか色々と想像するヒントが詰まった内容だったので実に面白かったです。
ということで今日はこれから国井さんのライブに行ってきます。

*1:エキサイトニュースが消えちゃったんで見れません('A`) インターネットアーカイブにも無い…というか見つからないです。

『バッテリー』今、映画界は空前のおちんちんブーム!

ということで体調もぼちぼち直ってきたんで、昨日は「バッテリー」の映画を見てきましたよ。
あざとい!これはあざとい!
ということで以下ネタバレを含みます。
平日夕方の上映だったのもあってか客が少なく、高校生グループとオバチャンやジジイなんかがちらほらと入ってるような感じでした。まだ上映し始めて数日なのに大丈夫なんじゃろか。
感想を軽く述べますと、中学生とかが春休みに見る映画としちゃ十分なんじゃないですかね。
話の大筋としては、「主人公の少年が野球を通じて家族や兄弟、教師や友人たちとの衝突や、自分自身の心の葛藤を乗り越え、家族の絆と友情を取り戻しハッピーエンド」っつう感じです。
岡山の風景自体が見てて結構楽しかったですし、野球の描写もそれなりに迫力あるんじゃないかなと。ボールがカメラのほうに向けて飛んでくるシーンとかはビビッて一瞬目をつぶったり。

ただ上の通りとにかく「ここで泣かせたるでぇ〜!」という監督の声が聞こえるような、あざとい展開が目白押しで、あかほりさとるのアニメとかが苦手な人だと苦しいかもしれません。でも伝統芸能と割り切って見れれば十分楽しめると思いますよ。
しかし何よりきつかったのは、天海祐樹がカウボーイビバップのフェイみたいなことをした時が…。
前のほうの席の高校生グループとかはどんな顔してこのシーンを見てるかと思うと、いたたまれない気持ちになりました。


もう少し、こう、何というか手心というか…
イタくなければ覚えませぬ(観客が)


いや、見ればわかるんですが、実際これやられたら絶対に親子断絶するだろってことするんですよ。動作・タイミングともに申し分ないくらいの羞恥プレイで、これで「親子の絆を取り戻しました」というのは厳しいものがあるんちゃうかと(;´Д`)


しかしまあ、そんなことはどうでも良いのです。この作品の本質はそんなところには無いのです。
大体僕が何を期待してこの映画を観に行ったのか、勘の鋭い方はお分かりでしょう。タイトルからして丸分かりですが。
ということでこの「バッテリー」、薔薇族ギッシリたしかな満足を与える作品でした。
ちなみに正しい情報は公式HPとかで見てください。
もう「バッテリー」というタイトルで少年二人の友情物語というだけでも「きっとそういう作品なんだろうな」と思わせるものがあるのですが、この映画の何がすごいって絶対監督が狙ってやっているとしか思えない、様々な腐女子(と大きなお友達)むけサービスの多いこと多いこと。
まずなにより女性陣の出番が少ない!殆んど話に絡まない!絡んでもウザったく思わせるようにしか演出されない!
一応ヒロインらしき女の子が出てきたりもするのですが、いきなり電話してきて聞きたくも無い身の上話かましたり、ライバル役を紹介したらそれっきり出てこなくなったりと、完璧にかませ犬です。
「この物語の本題はチャラチャラした恋愛じゃねえ!」という監督の熱い想いが伝わってきます。
天海祐樹は電波ゆんゆんだわ、キャッチャーの母親もちょっと嫌味なババアとして描かれるわ、風紀委員の女子中学生は陰湿なイジメをやってるわ、ヒロイン役の女の子は空気だわ、全体的に女性株低めな映画でした。


主人公はBL向きのイケメンなのですが、相方がガチムチなので、BLというよりゲイカップルにしか見えません。
勿論このブログを見てるような皆さんにとってはご褒美でしょうが、一般の人たちにはちょっとキツイですよね。
かといって、ホモ分を中和してさわやか友情物語に偽装するにしては、女性陣の魅力も少々物足りない有様。
ということで、必然的に主人公の弟のショタっ子がこの作品のヒロイン格として扱われます。当然です。
では実際どういうキャラが出てくるのか?ということで登場人物を少し紹介します。

原田巧(はらだ たくみ)
野ユニフェチ*1でガチムチが基本的な好みだが、ジジイからショタまで幅広くこなすオールラウンドプレイヤー。普段は男に身体を触られただけでもキレるという、ホモフォビアの仮面を被るツンデレ
永倉豪(ながくら ごう)
ガチムチなショタ専で、人のよさそうな顔をしていながら笑顔の裏で原田兄弟の身体を狙う策士。ことある事に巧の背後を取ろうとする。いつも子分の愛人を連れている。
原田青波(はらだ せいは)
ショタ。巧の三つ下の弟。病弱・天然・弟のトリプル役満。「いまどきエロゲーでもねえよ!」と言いたくなる程あざといヒロインっぷりを見せる。

いやね、こんなん寒いネタだと思うでしょうが、実際見てみるとこの説明で完璧にあってるんですよホント。
その例として幾つか注目すべきシーンを挙げてみましょう。


まあなんといっても基本はバッテリー二人の絡みですわ。
一番わかりやすく腐女子の得点稼ごうとしてるなと思うのは、最後の方での「主人公と相方の喧嘩→ 仲直り」の流れですかね。
「俺をもっと信用しろ!」「お前のタマが俺に取れないとでもおもっているのか!」とか言ってキャッチャーがピッチャーを殴りつけたり押し倒したり。仲直りのときには「最初あったとき、こいつは凄いキャッチャーだ、俺、絶対こいつを手放さないぞって思った」とかさりげなくと告白してたり。
こうしたお約束的展開には、トラディショナルな安定感があります。
また弟の青波がいなくなったとき、二人で一緒に森の中を探すシーンがあります。
そこで巧が沼に落ちて、それを豪が助けるのですが、なぜか互いに覆いかぶさってくんずほぐれつします。普通に見てると意味不明なシーンですが、これをサービスと捉えるとスッキリと通ります。
しかも兄がガチホモに襲われているシーンをうっかり弟が目撃してしまうという、エロマンガでよくある展開に続きます。*2


ということで、映画を見る際に何より重要なのは青波きゅんの登場するシーンです。
最初っから菅原文太やキャッチャー少年を虜にしたり、行方不明イベントで兄を心配させたりと、押したり引いたりやりたい放題ですよ。野球の場面では誰も気付かない兄の変調に一人だけ気がついていたり、入院イベントで「お兄ちゃん…勝ってね…」とか言ったりと、完全にヒロイン格の扱いです。「死に掛け妹」なんて陳腐なものと思われて近頃は見れませんが、見たら見たで動物的に反応してしまうんだろうなあというのが確認できてしまいました。
そんな青波きゅん、一番狂ってると思ったのはお色気シーンがあることです。児童ポルノギリギリです。
どういうシーンかというと、まず萩原聖人菅原文太が家の庭でイチャつくシーンがあるのですね。そこに岸谷五郎と入浴していた青波きゅんが、いきなり風呂場の窓を開けて「おじちゃん…野球…好き?」と風呂場の外の萩原聖人に誘惑を仕掛けたりします。
ここで言う「野球」というのが「たーんたーんたぬきの→ベースボール」から来た隠語であるのは言うまでもありません。


以上、とにかく「ここでショタ萌え!ここで腐女子サービス!ここで子供連れの親を泣かしたるでー!」という製作サイドの声が聞こえてくるようなあざとさにゲップが出る展開の連続でした。
別につまらなくは無いですし、ショタ萌えな人や、腐女子回路がサビついてきてる人には悪くないと思いますが、伝統芸能が苦手な人・そもそも実写がダメな人は注意したほうが良いですな。
…そもそも良い大人はこんなん見ないか…

*1:「野球ユニフォームフェチの略。野球のユニフォームを性的対象とすること、または性的対象とする人。類義語:アンストフェチ(野球のアンダーストッキングフェチ)」ウィキペディアより。

*2:この辺は僕の見た幻覚かもしれません

アニメ会ライブの簡単な感想&近況報告

体調崩してます(’A`)
今週はアニメ会のライブ行ったり、ライブの後でささやかなファンの集いに参加したり、「秒速5センチメートル」を見に行ったりと、色々書きたい事はあるのですが、ちょっとしんどくて…(’A`)
アニメ会の感想だけサラっと書きますと、いやー今回もすっごく面白かったですわ。
特に亀子さんの萌え話は良い意味で酷すぎる。
今回は武装錬金斗貴子さん話を紙芝居調にした萌え話でしたが、以前の「タッチ」の南の話と同じくらい脈絡の無いストーリー展開が、紙芝居の原始的なコラージュと重なって、腹筋崩壊を誘いました。
比嘉さんの「参考資料をその場で見ながらの萌え話」は、ああいうスタイルなのかと思いました。
三平さんは相変わらず上手いです。ミスリードのある萌え話という、発想がすごいですな。
国井さんの萌え話は相変わらず国際色豊かというか、スケールがでかい話でした。オチも相変わらずキレイでした。映像を意識して話を組み立てるというあたり、演出家だなあと思いました。
ソロライブも見に行きたいですが、いけるかなあ。
あと今回はタツオさんの萌え話もきちんと聞けて良かったです。国井さんに「ダメなオサレ作家のインタビューみたい」と言われてましたが、ああいうスタイルの萌え話もキてて面白いです。
あとは、やっぱりこのライブは、萌え話単体で楽しむというよりは、萌え話に対する周りの茶々入れを含めて楽しんでいるんだなあと。
ということで、以上まとまりの無いアニメ会ライブ感想でした。今回も面白かったですよ。
「4日目」についてももう公式HPの方で告知がされているみたいですね。いけるかどうかまだ分かりませんが、出来れば行きたいですね。


ということで今日はここまで。

オタクのグルメ

「モノを食べる時はね
誰にも邪魔されず
自由で なんというか
救われてなきゃあ
ダメなんだ
独りで静かで
豊かで…」

(井の頭五郎 久住昌之谷口ジロー孤独のグルメ」)

「オタクとファッション」というものが語られることは良くありますが、「オタクと食」というものが語られることは見かけません。
それはオタクと食べ物の関わりが薄いというイメージによるものだと思いますが、オタクも意外と食い物の話にはうるさいと思います。
そして、オタクのことを考える上では、意外に食というのは面白いテーマだと思います。


服装ほどにはとやかく言われないオタクの食生活。
一つには、食事の場面が外見と違ってパッと見てもわからん、という理由があるでしょう。その他の特徴に比べてそれほど目につかないので、意識すらできないわけです。
たとえ意識されても「オタク=偏食家で食生活が超貧弱」というイメージで語られがちです。
例えばウィキペディア曰く

(「脱オタク」の文中、オタクのイメージについての話で)…あるいは、話題面で自分の関心のある分野でしか話をしない・できないといった面や、その趣味嗜好に生活費までもを費やしている結果、「変に低いエンゲル係数」と呼ばれるような、非自炊の貧食・偏食(→ジャンクフードなど)傾向が取り沙汰されている。<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%AF>

とか。
オタクは本やゲームを買ったり、コミケなどのイベントに行くために、支出を減らそうと色々と節約しますが、まず食費を削りがちです。
特に貧乏な若いオタクなどは、衣服と食事くらいしか削りようが無かったりするので、結果として「オタク=服装に全く気を使わない」というイメージと同じように「オタク=食生活が貧弱」というイメージを生み出してしまいます。
一方で小太りな人も多いことから「偏食家」というイメージが作られているのでしょう。
この「オタク=ダメダメな食生活」というイメージは強く、オタクと食について語ることを難しくします。
「オタクはダメダメな食生活をおくっている」というイメージは、「オタクとは食い物に関心が無い連中」と連想させます。そこから「食べ物に関心のあるオタク」は、ほんの一部の「グルメオタク」や「健康オタク」に過ぎないのだ、というイメージも生まれます。
そうすると、オタクと食べ物の話をしようとしても「オタクは食い物に関心の無いもの」としてしか語られず、それ以外の内容だと「それはグルメオタクの話だろ?本当のオタクは食費を削ってグッズを買うんだから、食い物がどうこう言うオタクは、本当のアニオタとかゲーオタじゃないよ」という風になります。


誰もがそう考えているわけではないでしょうが、「食べ物」と「オタク」というと、「ナムコ」と「餃子」くらい結びつかないような印象はあるのではないでしょうか。


しかし、実際はこうしたイメージに反して、多くのオタクは食べ物に強い関心やこだわりがあるのではないでしょうか。確かにオタクの中には食費を削ってグッズを買ってる人は多いですが、ネットを見てみると、意外に多くのオタクが、食費に金をつぎ込み、自分なりのこだわりをもっているようです。


多くのオタク系サイトでは、普段はあのラノベ買ってこのアニメ見てという話がメインになっていますが、時に「どこそこの店でこういう飯を食った」という話が取り上げられます。
例えば、オタクサイト東の雄である「GF団」のK(仮称)さんは、大体1・2週間に一回くらいの割合で飯屋や食い物の話題が書かれます。孤独のグルメの舞台になったお店に行かれたり、色々なお店を巡られてるようです。

や、一旦デブメニューを食したらその日はその勢いでデブ関連で統一するのが粋と艶。
デブメニューを頼んだからあとはカロリー控えめってのはちょいと雄らしくないので。
ただ、後に待ち受けるは軽い後悔と胸焼けですが。
案の定、チョコレートドリンクの後は胸焼け一直線でしたが。
一息になってねえ。
(K(仮称) 「GF団」)<http://members.jcom.home.ne.jp/vampirdzhija/2007-1.html#070114

などなど、食事に対するメタボリックなこだわりが伺えます。
同じくオタクサイト北の雄である「好き好き大好きっ」のYU-SHOWさんも、今年に入ってからはあまり食べ物の話題もありませんが、去年は「スープカレー」の話題が結構出てきました。

ここの日記ではあまり書いたことありませんが、最近俺周辺では、ものすごい勢いでスープカレーがブームであり、ことあるごとに札幌の有名店を渡り歩いていたりします。そのうち、たびさんのトルコライスネタに対抗して、なんか書いてみたい気分。

(yu-show 「好き好き大好きっ」) <http://www.ne.jp/asahi/yu-show/sukisuki/200601a.htm>

その「変人窟」のたびさんも、トルコライスを中心に、旅行した先々での食べ物の話とかを良くされています。さらには「長崎うまかもんマップ」なるものまで作るほどで、けっこうな情熱を食べ物に注いでると感じます。
中京にもオタクが大勢おりますが、彼らの口の端に良く登るのは、なんと言っても「喫茶マウンテン」の話題。「DAIさん帝国」や「ゴルゴ31」などの中京の方々のアピールで何度も話題になり、今では遠方のオタクの中からも、マウンテン登頂を目指すものが後を絶ちません。今は休業中だそうですが。
もうちょいと著名なところで言うと、「たけくまメモ」の竹熊健太郎先生は、カレー屋「アサノ」への情熱あふれる記事を書かれてます。

断っておきますが、俺はグルメではないんですよ。メシなんてガソリンみたいなもので、腹を満たせればいい、味がついてりゃいいってなもので。逆にいえば、こういう味オンチにも「うまいとはこういうことか」と思わせる説得力がこの店のカレーにはあります。
(竹熊健太郎 「たけくまメモ」<http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/04/post_3.html>)

確かにオタクには「メシなんて食えりゃ良い」的な考えの人も多いですが、逆にそういう人ほど、旨いものを食べたときに素直に感動して、そこにハマるような気もします。
また本田透さんの「しろはた」では、最近はもっぱらアニメやゲームやラノベの話題ばかりですが、過去ログを色々見てみますと、割としょっちゅう何かしら食べ物の話題で盛り上がっています。電波男以前は、しろはたと言えばエヴァと野球とカレー(あと焼きそば?)という印象を持たれていた方も多いのではないでしょうか。
って気がつくとこんなことが書いてあった。

 いやこんなこと言ってる間に原稿書かないといけないんですけどね。仕事が詰まってくると、もうれつに違うことやりたくなりませんか。∩( ・ω・)∩ 例えばこのWebサイトをカレーサイトに大改造するとか!∩( ・ω・)∩
本田透 「しろはた」<http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/index.html>)

いいなあ、久々にカレーレビュー見てみたいなあ…本田さんは自分を偏食家と言いますが、逆に偏食家だからか、食に対する好みやこだわりの強さが感じられます。
少々話がずれました。
他にも、オタクたちは時として食事についてポロポロと語ります。
唐沢俊一もオタクの仰臥漫録がごとくブログに日々の食事を記していますし、「魂食」なんて本も出しています*1。どの本かは失念しましたが、大久保の韓国料理屋で旨い犬鍋料理が食えるとかいう文章も書いてました。
荒俣宏も昔「太陽」で「荒俣宏の会社メシ」とかいうコラムを書いてましたし。荒俣先生は普通の食事の代わりに、平凡社の人が差し入れするお菓子が主食になってるとかいう内容でしたが。他にも、以前テレビでツナ缶かなんかの貴重な缶詰が旨いとか力説していました。この辺は記憶があいまいなのですが。サバ缶かな?
オタキングプチクリ日記とか見てても結構良い物食ってるなあと思いますし、

 しかし、料理にも裏街道はあるだろう。だいたい、「美味しい」というのが本当にそんなに大事な要素だろうか?もし、そんなに味が大事なら、なぜ21世紀の今になって我々は、レトルトのカレーやカップラーメン、牛丼を求めているのだろう?グルメ評論家のご高説を読んだときに感じる、一種の胡散臭さはどう表現したらいいのだ?
 食とは、本質的に暗いものだと思う。大人数で食べる食事、親密な二人で食べる食事、一人で気楽に食べる食事、家族で食べる食事。それぞれ、おのずと要求されるものが違う。

http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/nikki/o2003/o0304a.html

こういう文を書くあたり、オタキングもまた食に対し、それなりのこだわりを持っているのが垣間見えます。

他にもネットをちょいと見回ると、オタクは食を語ることが意外に多いことに気がつきます。
オタク系のブログでは「ウィキペディアの卵かけご飯の項目が凄い」「あのアニメの料理を再現したサイトを発見」「やたら凝ったキャラクター弁当を作ってるブログ」といったトピックがよく注目されます。
取り上げられるほど大きなネタでなくとも、「この間××ブログの○○さんとあそこの店に食いに行った」とか「金がない時はこういうものを買ってこういう工夫をすることで腹を満たす」みたいな話を、ネット上でオタクはよくします。こういう話はブログよりもmixiとかの方が見かけやすいかも知れません。
人口の多くがオタクと思われる2ch虹裏のような掲示板でも、食べ物についての話題は頻出です。一世を風靡した吉野家のネタで、一番盛り上がったのはオタクたちでしょう。僕の周りにも吉野家オフだかで吉野家に食いに行くオタクは何人かいました。
一つ一つの事例を紹介することは面倒なんでしませんが、そういえばあのオタクサイトでもそんな話題があったという覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。



しかし、色々と例を挙げてはきましたが、「これは偶々例に挙げたオタクたちが食い物にこだわってただけで、一概にオタクがそうとは言えないだろ」というツッコミがあるかなと思います。
確かにそうなのですが、一方で、こうした事から「オタクは食生活が貧弱」「オタクは食い物に関心が無い」と一概に言えないのも確かです。


なにせオタクと食という話題は今まであまりにも軽視されてきたので、オタクの食生活に関するデータがほぼ無いに等しいので、こうだとは断言できません。しかし調べてみると結構面白そうなことも多く、オタクを考える上でも参考になりそうに思います。


例えば、秋葉原の飲食店(メイド喫茶でなく)の数はここ数年でやたら急増していますが、飲食店にもオタクの食に対する嗜好のあり方が出ているように思います。
十年一昔前は孤独のグルメでも

この街には"食欲"というものが欠乏している気がする

(井の頭五郎 久住昌之谷口ジロー孤独のグルメ」)

などと言われるくらいだったのに、気がつくとそこかしこに飲食店が立ち並んでいる有様の秋葉原
一方でアキバ・イチみたいなのは傾いてきているという話もあります。
「こんなにメシ屋が出来てるのは、アキバを乗っ取ろうとする一般人の陰謀なんだよスカリー」と力説してくる知人がいるのですが、実際は乗っ取られるどころか、オタクが食いに行かないような店は淘汰され、オタク好みの店が生き残りを競う有様になっていると思います。

逆に、オタク好みの飲食店というのが、秋葉原を見てると良く分かります。マックや吉野家などのファーストフードはどこも割合混んでますし、ラーメンや立ち食いそばなどの麺類の店はどこも盛況です。ドネルケバブにはT-ZONEツクモの袋を提げた人がよく並んでますし、カレー屋なんかもオタクには人気です。神田の方にちょっと行くと「仮面ライダー響鬼」のロケで使われた有名な甘味処がありますが、そこに行くと必ず一名は自分以外のオタクがいたりします。
こうしたところを見ていくと、オタクがどういう食事を好むのかというのが割り出せるでしょう。
薄味で量が少なめのものよりも、カレーとかラーメンとか肉料理とか、味が濃くて量の多い、労働者のような嗜好がオタク全般にあるように思います。
というか皆カレー大好きです。頭にスイカ乗っけた漫画家もカレーが好きですし、「オタク」と「カレー」は何かの因縁があるのかもしれません。
…とまあ色々と話は膨らませそうなのですが、こうした秋葉原の食文化に言及している人は少なく、森永卓郎先生が缶おでんをちょいと語っている程度です。


「オタク」と「食」というテーマはあまり語られない話題です。
ですが、「ファッション」がオタクの価値観の反映として語られるのに、「食べ物」がそういう文脈で語られないのもどうかと思います。
服は割と適当に買って着るオタクも多いでしょうが、食生活は服装以上に主体的な選択がされますから、オタクの価値観をより反映しているものではないでしょうか。
実際、オタクは普通の人たちとはまたちょっと違う方向で食事に凝ってるようにも思えます。


ということでまた長くなりましたが、今回は「食い物の話もオタクの話の中でしてもええやん」という提案でした。

*1:って言っても監修ですが

「ルサンチマンがなきゃいけない」という不安

唐沢 (略)ところが、その状態が続くとふと不安になって、俺はこの現状に満足してしまうんじゃないか、ルサンチマンがなきゃいけないんじゃないか、と、突如として不安にかられてしまった。
岡田 「ルサンチマンがなきゃいけない」、俺にはない考え方だ(笑)。
唐沢 ルサンチマンは、先天的に持ち合わせている人と、後天的に作り上げるタイプの二種類がいて、僕自身はなまじ他人とコミュニケーションをとれる能力もあったし、女性ともつきあえただけに、逆になにか欠損を作らなきゃいけないみたいな思い込みがすごくありましたね。
それで変な話ですけどね、一生にいっぺん、そのとき女断ちというものをしたんです。
岡田斗司夫唐沢俊一 対談「オタク伝説を背負って」『オタクの迷い道』)

あまりにも普段どおりだったので、今日になるまでバレンタインデーの存在に気づきませんでした。
田舎住まいなので、バレンタインのセールとかが目に入るほど身近に無く。
最近テレビもまったく見てないのでその手の宣伝にさらされることもなく。
おまけにネットも最近あまり巡回できてないのでさらに気づかず。
しかもここ数ヶ月は日常で殆ど女性と会話する必要など無い…というか、そもそも周囲に女性がほぼ無いに等しい状況でして。話しても「おばあさん」「おばさん」「お嬢ちゃん」の年齢層の人ばっかですし。見事に中間層がない。
かてて加えて、先週はずっと男だらけのむさい山小屋に引きこもってたりで。
そうしているうちに、気がつくとバレンタインとかの華奢な世界に何の感慨も抱かぬ心境になっていました。
一昔前の僕なら、はだしのゲンよろしくギギギと歯を鳴らして、道ゆくアベックに「貴様ら所詮自分にかまってくれる相手がほしいだけの癖にさかりやがって不純だコンチクショータマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマ」とタママちっくな毒電波を送りつけてるところだったのですが、今では「クルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクル」と、とても健やかな電波を送れるようになりました。


ということで、今日も今日とてレトルトの牛丼を食いながら「いやー、クリスマスも気がついたら過ぎ去っていたし、ようやくオラも悟りの境地に近づいてるんじゃろか」などと思っていたのです。
が、しかしふと、このままじゃいけない、なにか怒りを溜め込まんといけないような気がしてきたのです。


というのも、まさしく上記の唐沢俊一のような悩みですよ。
乗り越えるべきルサンチマンが無くなってきているので、自分の精神が成長できないような気がしてきたのです。
いや、唐沢先生は問題を乗り越える能力があるせいで逆にルサンチマンを必要としたのですが、僕の場合問題を放っておいても構わんような状況にいるせいで逆にルサンチマンを必要としてるのです。
心が澄んでくるのは、物を書いたり何かを創作したりする人間にとっては、ある種よくないことであるともいえます。仙人みたいな思考の文章もウケるっちゃウケるのですが、情念ドロドロの文章を書きたがって読みたがるのもまた人間。
以下の引用は、この問題を実にコンパクトにまとめた名台詞です。

おみィの漫画は最近面白くにィ!!
いいかあ。コップの水だ。最近のおみィのコップの水は澄んでる!!
澄んだおみィは、日々心が安心だ!!
おみィはそれを、ある境地だと思ってるんじゃにィか!?
うぬぼれるなっつーの、ボケッ!!
そんなこったからオーモしれえ漫画が描けにィんだよ!!
おみィの水は澄んだんじゃにィよ。汚れはコップの底に沈殿してんだよ!!
コップをゆさぶれっ!
ゆさぶって沈殿物を舞い上がらせろ。そうしねえといい漫画は描けねえぞ!!

(毒薬仁太郎 ジョージ秋山「WHO ARE YOU? 中年ジョージ秋山物語」)

状況としては「ジョージ先生自身が自分の漫画のなかで、自作の漫画のキャラに説教される妄想をしている」っつうわけわからん話なのですが、この回の毒薬先生の言葉は涙なしにはとても読めないのであります。

それはともかく、「漫画」の部分を「ブログ」とか適当なものに置き換えてみると、このような悩みを抱かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
僕も先日書いたアンパンマンの話が結構ウケたので、自分もやなせ先生のように、憎しみも悲しみも乗り越えた徳のある人間になったように思い上がってましたが、考えてみれば僕自身は別に憎しみも悲しみも乗り越えてないのです!
いや、よく考えずともそうなのですが。


というわけで、今よりもっと面白い文章を書いたりして精神を成長させるためには、バレンタインの日にはタマタマタマタマと毒電波を送りつけたりするような、恨み・嫉み・憎しみの感情が必要だという結論が出ました。
ということで僕は今後一層、負の気持ちを奮い立たせて、モリモリそういう文章を書いていくべきなのです。
修行するぞ修行するぞ!(’A`)


唐沢 だからオタクで一番困るのが、強迫神経症的になってしまうことなんだと。
岡田斗司夫唐沢俊一 対談「オタク伝説を背負って」『オタクの迷い道』)

また一週間ほど出掛けます

ということで、ちょっと一週間ほど、ネットも通わぬ山の中に行ってきます。
記事の更新やコメントの返信等できなくなりますが、お許しくださいませ。


って今までも一週間くらい何度も休んでますが(’A`)

アンパンマンができるまで その4

ドーリィちゃんは
「せっかく命をもらったんだもん、
自分が好きなことだけして、
自分のことだけ考えて、
毎日楽しく生きればいいのよ!」
といいます。
同じようにいのちの星から命をもらったアンパンマン
「僕が生まれてきたのは困っている人を助けるためだと思うよ」
と言ってみんなのために働いていることなど、
ドーリィちゃんにはとても信じられません。
やがて、ドーリィちゃんは、胸のいのちの星のほのおが小さくなっていることに気づきます。
不安になったドーリィちゃんはふと思いました。
「なにかが足りない気がするの。
私は何のために
生まれてきたんだろう」
(「それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ」パンフレットより)

人生なんて夢だけど、夢の中にも夢はある。
やなせたかし 「人生なんて夢だけど」)


やなせ先生の家系は皆、短命でした。
親類縁者はことごとくいなくなり、柳瀬夫妻には子供もいなかったので、奥様が亡くなると先生は天涯孤独の身となりました。
そんな中で先生は、故郷の香北町に美術館を、住まいのある新宿にアンパンマンショップを、それぞれ建てることにしました。

ぼくら夫婦には子供がなかった。妻は病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護婦さんや見舞い客に配っていた。アンパンマンがぼくらの子供だ。
子供に家を建ててやりたい。それが美術館とアンパンマン・ショップである。子供達によろこんでもらいたいという一心である。
やなせたかし 「アンパンマンの遺書」)

美術館は、町が乗り気になっても計画は遅々として進まず。
アンパンマンショップはもともと画廊の予定でしたが、いつの間にやらやなせたかし直営店となりました。採算度外視でつくり、子供が玩具を自由に手にとって遊べるようにしています。このアンパンマンショップは、2007年で開店13周年になります。
そして95年、やなせたかしの遺書たらん気持ちで書いた自伝「アンパンマンの遺書」を上梓します。
この本を読むと、もう何時いのち尽きても構わないというような先生の気持ちが伝わってきますが、それでも人生は続きます。


94年以降の先生は、舞台の仕事に特に精を出されるようになったようです。「知的童謡コンサート」や喜寿の祝いのイベントの総監督を率先して行い、架空結婚式などの出し物で観客を楽しませます。
同年の6月にはアンパンマンミュージアムが着工、7月オープンとなります。舞台人の血が騒ぐやなせ先生は、オープニングセレモニーのイベントで寸劇を行い、会場のホテルは大盛況。
肝心のミュージアムの方も、初日の入場者数3000人を越えるほど。とはいえど、自治体のハコ物がどんどん寂れている御時勢、普通に考えて、高知の片田舎の町に毎日大勢の人が来るわけもない。
初日の賑わいを見ながら、やなせ先生は「年間十万人は無理だろうなあ」と思っていました。
ところが予想を裏切って、開館49日目には年間目標の10万人を見事達成。96年度の決算では1億0438万円の黒字が出ました。
静かな田舎道は車で渋滞し、レストランもトイレも駐車場の不足を整備して、ギャラリー用の新作絵画を書き下ろし、果てはあふれるお客を何とかするための別館作り。難題の数々を解決してるうちに先生の人生の終わりはどんどんと先延ばしになり、気がつくと全く新しい展開へと入っていきます。


98年にはアンパンマンのテレビ放映10周年。人気は上昇、作者は老衰。
「困ったときのやなせたかし」は健在で、あっちこっちの仕事を頼まれてんてこ舞い。
医師からの忠告を聞き、軽い気持ちで健康診断を受けると「心筋梗塞一歩手前の危険状態」と言われ即座に手術。絶対安静と言われながらも、退院したらばまた仕事。
仕事をしては入院し、退院しては仕事する。そんな仕事尽くしの日々ですが、それでも舞台の企画を立てて、歌って踊るやなせ先生。
あっという間に2000年、81歳の先生は、過労がたたってまた入院。
せっかくだからこの機会にと、たくさん漫画を買い込んで、ベッドの上で読みふけります。
やなせ先生のお気に入りは浦沢直樹の「MONSTER」や三浦健太郎の「ベルセルク」。アンパンマンとは作風が90度違いますが、どこか通じてる部分があるようなないような。
切って貼っての手術を何度も繰り返してるうちに、やなせ先生の新作アニメ「ニャニがニャンだー ニャンダーかめん」が始まります。ニャンダー仮面もアンパンマンに通ずるメッセージを込めた作品でしたが、一年弱で終わります。
21世紀に入っても、やなせ先生は相変わらずのエンターテイナー。
高熱を押してミュージカルに出たり、入院先の病院からそのままライブハウスに行ってステージを披露。一方ではアンパンマンミュージアム名誉館長や、高知学園名誉学園長、日本漫画家協会会長などの公職を務め、様々な地方のご当地キャラや、企業のマスコットキャラ執筆の依頼もどんどん受けます。もちろんアンパンマンの原作作りも忘れません。まだまだやること、やりたいことは沢山あります。

人生の楽しみの中で最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、すべての文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら原則的には愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生をごまかしながら生きているんですね。
やなせたかし 「人生なんて夢だけど」)

いつも心のどこかに孤独を抱え、絶望に涙していたやなせ少年は、「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を探しながら、激動の生涯を歩んできました。
「人を楽しませること」
この十年のやなせ先生は、とにかく「人々を楽しませること」にその命をつぎ込んできました。
それが先生のたどり着いた答えの一つのようです。
もう一つの大事な答えは、アンパンマンの中に描かれ続けています。


そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも
なんのために生まれて、なにをして生きるのか?
答えられないなんて、そんなのはイヤだ
今を生きることで、熱い心燃える
だから君は行くんだ微笑んで
そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも
ああアンパンマン
やさしい君は 行けみんなの夢守るため
やなせたかし 「アンパンマンのマーチ」)